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結局のところ「終活」って何?(後編)

日本葬祭アカデミー教務研究室・二村祐輔×ZIEL編集部・花塚水結

特集 自分をあたらしくする 2020.7.24

文・構成:花塚水結

テレビや雑誌など、さまざまなメディアで取り上げられる「終活」。言葉はよく聞くけど、そもそもどんなことをするかわからない……。そこで、終活に詳しい日本葬祭アカデミーの二村祐輔さんに、終活とは何かを聞いてみました。
前編では漠然とした不安や悩みを明確にすることで、問題を解決したり、対策を講じることで安心感を得ればよいと教わりました。後編では、具体的な終活の内容を聞いていきます。前編はこちら

 

お葬式やお墓の本来の役割を知る

花塚:昔は必ずといっていいほど行われてきたお葬式が、現代では行う人が少なくなっていると聞きました。それなぜですか?

二村:地域の人たちで協力しながらお葬式を行う習慣がなくなったからだと思います。
昔は、人が亡くなれば、必ず地域一丸となってお葬式を行っていたので、当然のように死は公のものであり、お葬式にかかわることで死に触れる機会もありました。だから、自然とお葬式を行う意味や価値、また慣例の知識が身についていったんです。

でも現代のお葬式は、「家の行事」として個人的に行われるものになりました。他者のお葬式にもかかわらないので、死に触れる機会が少なくなったわけです。
その結果、お葬式を行う意味も薄れてしまいました。だから、お葬式をしないといい張る人や、内々でこっそり済ますお葬式を望む人も増えています。
費用だけの問題ではなく儀式性が遠のき、お葬式を簡略化して合理性を求める風潮になっているのです。

花塚:たしかに、お葬式は「家の行事」だと思っていました。

二村:そうでしょう。ですから、故人と社会のつながりは、お葬式という文化を継承するうえで非常に大切なものだったのです
そして、同じような現象はお墓でも起きています。この写真を見てください。

荒廃した墓地

二村:この写真は墓地なんですよ。石塔は倒れているし、草木は生い茂っていてひどいでしょう。お墓をきちんと継承しなかった結果がこれだと思います。

花塚:うわ……。荒れ果てた光景ですね……。

二村:お墓の本来の役割を考えず、世代間の継承がなされずに荒廃してしまったお墓の一例です。
現在は樹木墓地や納骨堂などを選択肢として考える人が増えましたし、お墓はいらないからと散骨を希望する人もいます。こうしたお墓の形態を個人の意思で選択したとしても、安易に決めてしまったと、後悔する人もいます。

花塚:お墓本来の役割とはなんですか?

二村:第一に、亡くなった人の魂が宿る場所、そして、遺された人が祈る場所です。

花塚:先ほどの写真のように、荒廃してしまったお墓ではどちらの役割も果たせませんね……。

二村:そうです。それから、お墓は遺された人が掃除やお参りをする「管理」以外に、継続して鎮魂の儀礼を行うことで「供養」をします。
お寺の境内墓地であれば、お坊さんが供養をしてくれますが、公営の霊園などではどうでしょうか。
たしかに遺骨を保管し、安置する場所ではありますが、供養も遺された人の誰かが行わなければいけません。

花塚:なるほど。お寺の境内墓地と公営の霊園には、「管理」と「供養」という役割の点で大きな違いがあるのですね。

二村:そうなんですよ。新しく増えたお墓のかたちや公営の霊園が悪いわけではありませんが、お墓もお葬式と同じように、「なぜ建てるのか」という部分をきちんと知って、選択してほしいと思っています。

 

「終活」は「死」に向けた準備ではなく、今を「生きる」ために行う

花塚:「終活」とは「死」に向けていろいろな活動をすることだと思ってたんですが、活動をする前にこうした歴史や価値を学ぶことが必要なんですね。

二村:だから「終活」とはそんなにお気軽ではないぞ、ということなんです。
私のなかでは「終活」は軽薄な言葉だと思っていますが、強いて定義するならば、以下の4つが終活の総体だと考えています。

終焉のことを考えて
事前に心づもりをし
活き活きとした余生を
心豊かに過ごすこと

「死」というのは絶対に避けられないものなので、その「避けられないもの」に対して、どれだけ安心できるかを終活の最大の目的としてほしいんですよ。

花塚:でも「避けられないこと」に向き合い、考えるというのは、つらいことでもありますよね。

二村:生物は、生きているからこそ生物なのです。つまり、生きていることがすべてなので、「死」は一番考えたくないことなんですよね。

花塚:嫌なことからは逃げ出したと思っちゃいますよね……。

二村:けれど、一番嫌なことや、つらいことを乗り越えてこそ、安心感が得られるんです。
特に現代は地域でお葬式を行う習慣がないから、より自分たちで考える必要がある。であれば家族で考えようとしても、子どもは遠くに住んでいて頼れない。今度は夫婦で考えようとしても、夫婦で別のお墓に入りたいと希望する人も出てくる時勢ですから。
まぁ、結局、自分のことは自分で行わなければならない時代なんですよ。

花塚:一番嫌だなと思うことを自分で決められたら、ほかのことも簡単に決められるかもしれないですね。

二村:そうそう。先にあるゴールを決めると自然とほかのことも決まるんですよ。
お墓を決めたら、お墓に入る前にはお葬式を行うからお葬式も決めなきゃいけない。お葬式を行う前には病気になっているかもしれないから、治療を決めておこう……なんていう風に。
そうして今に立ち返ったとき、「さぁ、ゴールは決まった。あとは何しよう?」ってなるじゃないですか。

花塚:なるほど! 不安解消が安心へと変わって、それが心づもりにつながるわけですね。
では、今に立ち返ったときに活き活きと生きることと、豊かに過ごすことは、具体的にどんなことですか?

二村自然の移ろいを眺めたり、美術館で作品を愛でたり、自分の住んでいる周りの郷土文化や伝統も改めて見直したりしてみましょう、ということです。
日本には立春から始まり、雨水、啓蟄、春分……といった、緻密な季節の変化を表した「二十四節気」もあれば、端午や七夕、重陽などの「年中行事」もありますよね。これらを感じ取って感性を磨いたり、情緒を楽しめるといいですよね。

花塚:わざわざどこかへ出かけずに、日常のなかにあるものや、その変化を楽しむこともよいですね。

二村:はい。そのために少し自分の町を散歩してみるいいですよ。道には季節ならではの花が咲いていますし。それから、普段前を通りかかるだけのお寺や神社にも、さまざまな由緒があるかもしれません。

花塚:身近にある文化に触れる機会というのは、意外とないことかもしれません。

二村:そうでしょうね。お寺や神社はまさに魂に触れる場で、お葬式やお墓と関係していますから、そうした文化を自分で知って、大切にしていってほしい。それが「終活」になると思います。

【取材を終えて……】
実際に話を聞いてみると、たしかに「終活」は甘くなかった……。でも、「終活」とは何かを知ったことで、これからを「生きる」ための新しい一歩となりました。
「自分は何が不安なのだろう?」と明確にすることができれば、その先も解決に向かって行動できそうな気がします。この小さな一歩を重ねて、生き生きと豊かに過ごすことができますように!

 

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二村祐輔

日本葬祭アカデミー教務研究室 代表。1953年生まれ。葬祭実務に約18年間従事した後、1996年に葬祭の専門コンサルタントとして独立。同時に「日本葬祭アカデミー教務研究室」を主宰し、「葬祭カウンセラー」の養成と認定を行っている。著書・監修書など多数。 https://www.jf-aa.jp/
二村祐輔

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