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安楽死の問題から考える「死を選ぶ権利」

日本と欧米で異なる「個人の死」への考え方

特集 今こそ、死の話をしよう 2021.1.29

取材・文:出口夢々

2020年の7月、2019年11月に「安楽死したい」というALS患者を殺害した疑いで医師2人が逮捕され、世間に衝撃を与えました。日本では法律上、安楽死は殺人罪や嘱託殺人罪にあたり、自ら死を選択し難い状況にあります。そこで、海外では「死を選ぶ権利」がどのように考えられており、日本ではどのように捉えられているのか、そもそも安楽死とは何なのかを、中央大学法学部教授の只木誠先生に伺いました。

 

目的の所在によって異なる安楽死の種類

 

出口:2019年の11月に、意識ははっきりしたまま、筋力だけが失われていく難病・ALSを患った女性が、SNS上で知り合った医師に安楽死を依頼し、実際に亡くなるという事件がありましたね。スイスやアメリカの一部の州では法的に安楽死が認められていますが、日本ではなぜ認められていないのでしょうか?

只木:その問題を考える前に、まずは安楽死とは何かをお伝えしましょう。
下記のように、安楽死は3つに分類されます。

只木①の積極的安楽死とは、患者に致死薬を投与することなどによって積極的に死を迎えさせる措置のことです。これが世間で一般に認知されている「安楽死」の実態と言えるでしょう。日本では違法行為とされていて、積極的安楽死を行った場合、刑法199条の殺人罪、刑法202条の嘱託殺人罪(自殺幇助)の成否が問われます。

出口:先述した事件では、医師2人は嘱託殺人罪の容疑で逮捕されていました。

只木:そうですね、女性の依頼を受けて医師が致死薬を投与したので、嘱託殺人罪が成立しました。
②の間接的安楽死とは、鎮静剤の投与によって患者の意識レベルを下げ、眠らせた状態のまま治療行為を差し控えることで死を迎えさせる措置のことです。苦痛緩和を目的とした医療行為ですが、生命を縮めることにもなるため、「間接的に」死を引き起こしているわけですね。これは、違法性のない治療とされています。

出口:目的はあくまで患者の痛みを緩和させることにあるので、それによって死期が早まっても罪には問われない、ということですね。

只木:はい、目的の所在が重要になるわけです。
③の消極的安楽死とは、患者の苦しむ状況を長引かせないために、延命治療を行わない、あるいは治療の中止により死期を早める行為です。これが、いわゆる「尊厳死」と呼ばれているものになります。

延命治療は「命のある時間」を延ばすことができる反面、場合によっては、患者本人の、そして患者の家族の負担にもなってしまうことがままあると言われています。人間は本来、生命の最終段階になると、終焉を迎えるべく身体が食物を受け付けなくなるのです。

しかし、延命治療をすると、それを無視して栄養を与えることになり、実はその行為が患者本人の苦しみを増大させている可能性があると、近年わかってきました。つまり、延命治療は患者を苦しめている可能性があるわけです。

そのようなことから、人為的に生を引き延ばすのではなく、自然のままに自身の終焉を迎えようとする、すなわち「死への権利」といったような考え方が生まれたのであり、消極的安楽死はこれに沿うものと言えます。

ただ、一方、終末期にある患者の家族の側においては、患者の看護にかかって生じる精神的・身体的疲労、また、治療費や入院費などの経済的負担も決して小さいものではありません。ですので、これを慮った患者が、家族の負荷になりたくないとの理由から、延命治療の拒否や治療中止を選択するというケースもあることが指摘され、問題となっています。

出口死を目的とした行為か否かが、安楽死を分類するうえで大切なポイントなのですね

只木:おっしゃるとおりです。ちなみに、1995年、多発性骨髄腫に罹患していた患者に対し担当医師が致死薬を投与し、安楽死させた「東海大学安楽死事件」が起こりました。この患者は意識不明で、余命数日の状態にあったのですが、患者の家族が「早く楽にしてあげてほしい」と医師に強く迫ったことから起こった事件です。この事件の審理を担当した横浜地裁は、医師を執行猶予つきの有罪とし、以下の4基準を満たしている場合は、医師が末期患者に積極的安楽死を行っても罪に問われないと示しました。

出口:東海大学事件の場合、患者は意識不明だったので④の意思表示が確認できなかったことや、①の肉体的苦痛を表明できないことが、判決のポイントとなったのですね。
……でも、死期が迫った状態で自らの意思表示をすることは、現実的に考えて不可能に近いと思うのですが。

只木:そうなのです。一般的に、患者が痛みを訴える場合はモルヒネなどの鎮痛剤を投与したり、意識レベルを意図的に下げることで痛みを感じないような処置がされます。ですので、この4つの基準を満たす安楽死は現実的にありえないのです。厳格すぎるこの4つの基準は、事実上、積極的安楽死を封殺したとも言われています

出口:積極的安楽死が認められる基準はあるものの、それは現実的なものではないというのが、今の日本における積極的安楽死の実態なのですね。
では、スイスやアメリカなどは、積極的安楽死についてどのように考えているのでしょうか?

 

「死も自分で決定できる行為」と考える欧米

 

只木:文化、社会、宗教、そして、そこから生まれる死生観が日本と欧米では大きく異なるのですが、「自分の考えにもとづいて行動する」という考え方の強い欧米においては、「死も自分で選択できる行為だ」という考え方が主流なのです。ですので、他人の自殺の意思決定を尊重し、それを手助けする行為、すなわち自殺幇助は罪に問わないという法律が多く制定されています。

ただ、患者の依頼のもと医師が投薬し、死にいたらせる行為は、スイスなどでは嘱託殺人罪に問われます。ですので、医師が用意した致死薬を患者に提供したり、医師が致死薬の入った点滴の輸液を用意し、針を患者に刺し、体内に流し入れるレバーは患者に押してもらうなどして行われる「不可罰な自殺幇助」が実行されています。

出口:死を希望する人がいたら、第三者によって死に至る環境は整えられるけど、死への引き金を引くのは本人なのですね。それは本人の意思がもっとも尊重された、最期の迎え方のような気もします。

只木:そうですね。それから、先ほど示した4つの基準では、肉体的苦痛が項目に入っていましたが、私は精神的苦痛も考慮すべきだと考えています。身体は痛みを感じていなくても、心が苦痛を覚えていたら「生」へ目を向け難い状態になりますよね。ただ、精神的苦痛を測ることはできないので、判断が難しいのも事実です。
このように、複雑な事柄が絡み合っているのが「安楽死」の問題なので、一概に法律で認めることができない状況にあるのです。

出口:確かに、積極的安楽死を認めたら、医師のアイデンティティも不明になりますよね。「命を助けるために医師になったのに、患者を死に至らせる行為をしなければならない」というのは、非常に大きな苦痛になると思います。

只木:そうなのです。命を救う一方で、死ぬ環境も提供するというのは矛盾する行為なので、医師としてはなかなか受け入れ難いものでしょう。また、少々乱暴な言い方にはなりますが、医師の積極的安楽死の実行を認めると、「患者を生かそうとする」という倫理観が揺らいで、誤った診断や誤った治療がなされる可能性も出てくるかもしれません。

出口:死を選択するのは、実際に死を迎える本人だけでなく、家族や医師、そして社会にまで影響をおよぼす行為なのですね。

只木:ヨーロッパ諸国において、生と死、そしてそれに関わっての権利というものについての感覚は近代以降の合理思想に基盤を得て成り立っています。しかし、日本では脳死が人の死として一般に受け入れられているとは現状言い難いように、死そのものについても、客観的な事象として、また個人の選択権のうちにあり得るものとして語られる場面はそう多くはありません。その意味からも、積極的安楽死を法的な権利として認めるにはハードルが高いでしょう。

我々は意識があるうちはさまざまなことを選択する権利があり、それを行使することができますが、いざ自分に何かあったときに意識がない状態に陥っていたとしたら「自分の最期」を選択することはできません。

ですので、法的拘束力はありませんが、終末期の医療やケアについての意思表明書である「リビング・ウィル」を作成しておくことによって、自分の最期についての意思を表明しておく文化を育てていく必要があると思います。生きているうちに、意識がはっきりしているうちに、自分の最期を選択しておく――これが、現在の日本において、「生きる権利」のある我々ができる「死の選択の仕方」なのです

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只木 誠

1956年生まれ。中央大学法学部・法科大学院教授。中央大学大学院法学研究科博士課程。法学博士。「日本刑法学会常務理事」、「法務省総合評価委員会」「文部科学省中央教育審議会専門委員」ほか委員会委員。主な研究テーマは、故意・錯誤論、罪数・競合論、生命倫理と刑法、経済刑法など。主な著作に『コンパクト 刑法総論』(2018年、新世社)、『罪数論の研究〔補訂版〕』(2009年、成文堂)、『刑事法学における現代的課題』(2009年、中央大学出版部)などがある。
只木 誠