みんなと「違う」わたしが生きるために
LGBTの老後問題
取材・文:花塚水結
2020年10月、足立区議会の議員のLGBTに対する発言がメディアで大きく取り上げられました。今でこそ、LGBTに対する考え方が広まっていますが、「みんな」に対してつくられた法律では、「みんな」と違うLGBTの人たちに対応していません。当事者が直面している問題は大きいままです。
当事者が何を望んでいるのか——。ゲイとして、そして法律の専門家(行政書士)として、「みんな」が利用できる制度を伝えたり、当事者が直面する問題や不安に対して解決方法を提示するNPO法人パープル・ハンズ事務局長・永易至文さんにお話を伺いました。
ゲイとして自立して生きていくための道筋をつくっている
——LGBTの老後問題に取り組むようになったきっかけは何でしょうか?
私自身、ゲイとして一生を生きていくために、どうしたらいいだろう? と考えたのがきっかけです。
私が20代だった1990年前半、サブカルチャーの雑誌を中心に、「ゲイ」がメディアに取り上げられる「ゲイブーム」が起こりました。
当時はインターネットがなかったので、メディアに取り上げられてはじめて「自分だけが同性を好きじゃないんだ」と知り、LGBTの若者たちのつながりや活動が広がったのです。こうした活動を90年代(ゲイ)リベレーションと言うことがあります。
それまでの同性愛に対するイメージは、淫靡でアブノーマルなものでしたが、当事者の「プライドを持って一生をゲイとして送りたい」という意識が、少しずつ広まった時期だと思います。
でも、若いうちはともかく、「一生をゲイとして送る」と言ってもモデルケースがなく、私自身、この先の人生をどうやって生きていけばいいかわからなかったんです。
——どうやって生きていけばいいかわからない、と言うと?
1990年代に若者だった私たちより上の世代のゲイの方たちは、ある程度の年齢になると結婚をしました。同性愛は生き方にかかわるものではなく「性の嗜好」としか捉えられなかったし、結婚するのがあたり前な時代でしたから。ゲイ同士、あるいはレズビアン同士で一生をともに送る人たちや、LGBTの高齢者がいなかった——少なくとも若者だった私たちには見えなかったのです。
そのため、自分たちのライフモデルを自分たちでつくり出そう、と考えました。このときに私が影響を受けたのが、1990年代に先立って1980年代に盛んになった、障害者の自立生活運動でした。
障害者は、戦後に福祉政策が進んだことで施設で手厚いサポートを受けられるようになりましたが、施設の場所は決まって山の奥。一般の人との実生活とは切り離されていました。
一方で、自覚した障害者たちが、自ら街に家を借り、支援費制度で介護者を雇い、同じ障害者仲間のアドバイスや手助けを受け、多少ガタピシしながらも自分らしい暮らしをつくり始めたんです。各地に自立生活センターという拠点もでき、彼らの相談所と同時に、障害者自身の雇用の場にもなりました。
「当事者主権」「私たちのことは私たちが決める」を合言葉に、自分たちの生活を自分たち自身でつくっていく姿を見て、私たちもゲイ・性的マイノリティの自立生活運動をしていきたいと思ったんですね。
「みんな」が使える制度を伝える
——その後はどのようなことをされたのでしょうか?
大学を卒業後、出版社に勤めて2001年からフリーランスのライター・編集者となります。オープンリーなゲイとして、LGBTの暮らしや老後、HIVをテーマに著述や編集をしてきました。
その後、あらためてFPの勉強をしてみると、「こんな制度があるんだ! 世の中はこういうしくみになっているのか」といった発見がありました。それと同時に、FPのテキストに出てくる事例はすべて、お父さん、お母さん、子ども2人の「標準家庭」仕様になっていることも知りました。
おひとりさまや同性のカップル、ゲイに多いHIV感染者、メンタルの病や障害を持って生きている人、性別を変えて生きている人——。「標準家庭」にはあてはまらないマイノリティ側が、現行の制度を使って、なにがどこまでできるだろう、と模索しました。
そうした情報を「同性愛者のためのライフプランニング研究会」という集まりでシェアし(2010年)、コアになったメンバーとNPO法人「パープル・ハンズ」を立ち上げ(2013年)、今にいたります。
——おひとりさまの問題や病気の有無は、性別関係なく考えなければならない問題ですよね。パープル・ハンズではどのような活動をされているのでしょうか?
あくまで「生活者としての性的マイノリティ」の姿を日々手探りしている状態です。そのためにどんな制度やどんな解決方法があるのか、老後のライフプランに関する講座や相談を行っています。私自身は、行政書士やFPという専門家として、業務にあたっています。
老後に役立つ場所へ出かけるおとなの社会科見学「キャラバントーク」も開催していて、これまでに地域包括支援センター、訪問看護ステーション、特別養護老人ホーム、そして樹木葬墓地などを見学してきました。
現代は、お墓を家族で受け継ぐことも少なくなってきていますし、「家族」でなくても、同性カップルや友人同士、あるいはペットも一緒に入れるお墓が増えています。
でも、そうした事実は、意外と当事者には知られていないんです。「今は自分たちも好きな人とお墓に入ることができるんだね」と、参加者が社会の変化を学ぶ機会になっています。
また、そうした施設で働く現場の人と直接触れ合うことで、現場の人たちも社会的マイノリティに対してどう対応をすればいいか、わかっていただけるんですよね。
このような活動を中心に、性的マイノリティの当事者に対して実務的な情報提供を行っていることから、「暮らしと同性パートナーシップの確かな情報センター」と称しています。
団体はわからないことを聞きにいける場所
——実際に団体のイベントに参加されたり、相談に来られる方は、どのような悩みをもっているのでしょうか?
ライフプランの悩みはまず、「老後のお金が足りるか?」。これに対しては、入ってくる以上のお金は使うな、ということに尽きます(笑)。自分の収支をきちんと把握し、計画的な支出をしましょう、と。
それから、東京で活動をしていると、地方に住む親の介護問題もよく聞きます。性的マイノリティの子どもと、その親・親族との関係は、微妙な場合もあります。親に孫の顔を見せられない負い目なのか、「自分が介護しなければいけない」と思い込んでいる人もいて……。
でも、親の介護のために離職して田舎に帰っても、田舎に仕事があるわけではない。それに、介護の実務は入浴でも排泄でも、ヘルパーなどプロに任せたほうが本人も幸せ(笑)。親の介護保険をベースに地元地域の制度を利用し、遠隔からでもケアマネジャーと密に連絡を取るほうがいですよ、とアドバイスしています。
親を見送った後は、「子なしで迎える自分の老後」です。高齢者のおひとりさま問題は、社会的な課題ですから、まずは行政の施策やサービスをよく知ること。いまはどこの自治体でも、緊急通報システムの貸し出しや電話での安否確認、入院時に緊急ヘルパーを依頼できるなど、無料または低額のサービスがいろいろあります。こうした制度利用はセクシュアリティ不問です(笑)。地元行政や社会福祉協議会が行っている、お金をかけずに利用できる制度を知ってほしいですね。
また、行政の制度の利用をすすめると、「役所のホームページや説明はわかりづらい」「制度が複雑でわからない」といった声も聞きますが、それらをしっかり読み解ける制度リテラシーを身につけることが大事だと繰り返し伝えています。
いつも言っているのですが、「情報と人のネットワーク」がマイノリティの暮らしの決め手です。
まずは身体、お金、法律について、自分の状況を正直に伝えて相談できる専門家を知ること。そして、万が一のとき(入院時など)、お互いに駆けつけあったり、手助けできる3人のご近所グループをつくることですね。本名や住所を知り、鍵の預け合いができる、自分とほかの2人からなる、3人のネットワークをつくりましょうと言っています。
ただ、性的マイノリティのコミュニティは匿名性が高いので、相手の本名や住所を知ることが一番ネックになるのですが……。
人として最低限の権利を回復させるために、ノーマライゼーションを普及させたい
——マイノリティが聞きづらいような、「自分で生きる」ことを前提とした「実務」を教えてくれるのですね。
先日、区議会議員の発言から、大きなLGBT問題になりましたよね。現状のLGBT問題に対してはどのようなことをお考えでしょうか?
あのような発言は、すでに時代錯誤なものとして、社会の批判を浴びるようになりましたね。私も時代の変化を感じていますが、一方で昔とは違った問題も起きています。
性的マイノリティの当事者と直接話したり、十分な理解もしないまま、「あの人たちは自分の意見を押しつける人」「過剰な権利や特権を要求する人」「利権屋」「政権を攻撃する左翼」「反日勢力」……などという言説をネットで喧伝する人が増え、それに同調する若い世代も一定数いるようです。
一部の政治家やインフルエンサーには、意図的にそうした言説を振り撒き、自分への注目を集めようする人もいますが、それは社会を分断させる危険な言動です。
「LGBTの人はすぐ差別されたと騒ぐから、LGBTに関して自由に発言できない」という人も見受けられますが、そもそも「差別をする自由」はありません。
私は、LGBTのことを理解してほしいとは言っていないし、ましてや(私のことを)好きになってほしいとも言っていません。
私自身もほかの社会課題や、性以外のマイノリティについて理解していないこともあるでしょう。しかし、それを「無知は罪だ」と責める倫理主義にも、あやうさを感じます。誰もがこの世のすべてを知り尽くすことができない、「いい人」になりきれない限界があるうえで、我々は1つの社会を構成している対等な人間である、ということを揺るがすわけにはいきません。
私たち性的マイノリティに対しても、対等な人間としての最低限の敬意や尊厳を持ってほしい、社会の構成員として存在を認めてほしい。「保護」や「特権」を求めているわけではなく、みなさんと同じように人間としての当然の権利を回復し、マイナスをゼロに戻し、みなさんと同じ出発点に立たせてほしいと思っているのです。
また、性的マイノリティ当事者からの「(LGBTなどと騒ぎ立てず)そっとしておいてほしい」「日本はLGBTに寛容で、差別はない」という声も聞かないわけではありません。
しかし、自分たちの存在を社会の温情に依存させていると、いつそれが反転して社会からの排除にさらされるとも限りません。存在があたり前の社会(一部の人が言う “カムアウトする必要のない社会” )にするためにも、「私たちはここにいる」と声を上げ続ける必要があるのです。
——当事者の方々が問題を可視化してくれているからこそ、そうでない人たちが目を向けないといけないと思います。これからの社会に求められることは何でしょうか?
私は、現在の法制度を活用すること、制度リテラシーを高めることを、性的マイノリティ当事者へ呼びかけていますが、その法制度は、性的マイノリティの存在が前提とされたものではありません。これからは、性的マイノリティが存在していることを前提とした、社会のノーマライゼーション(違いにかかわらず平等に生活できる社会)が必要です。
近代以降の社会は、「男・女」の性別二元制と異性愛主義(恋愛強制主義)に強固に覆いつくされています。しかし、現実は性別二元制や異性愛と折り合いの悪い人や、無理して適合させている人が、意外といるんです。
この現状を無視して法律や制度、社会や文化をつくってしまっているので、人間のあたり前に即したものにしてください(戻してください)、というわけです。
わかりやすい具体例では、男女間でしかできない結婚制度を、同性間でもできるようにすること。結婚が男女に限らないとなると、自覚的な同性愛者に限らず、「みんな」のための結婚制度になります。
もうひとつは、性別、性自認、性的指向は多様で、どのあり方も等価で平等であり、差別やどれか特定のあり方への強制は許されないことを法律的にも宣言することです(差別禁止法など)。
かつて障害者が山のなかの施設を出て街中で暮らしはじめ、その姿が市民に見えるようになった。車椅子が通れるようにスロープをつけてほしい、バスや電車に乗せてほしいと声をあげ、社会のノーマライゼーションを実現してゆきました。
バリアフリーデザインや駅での介助は、今ではあたり前ですが、昔は建物にスロープや手すりがなく、車椅子は電車に乗せてもらえなかったことを、若い世代は知らないようです。
障害者が実現したノーマライゼーションと同じように、性別は男女どちらかを強制されていて、全員が恋愛をしていて(特に異性を愛することが)当然だとされていた時代があったことを、知らない世代がいる時代が来てほしいなと思いますね。
身体状況(障害)、年齢、出身、そして性別やセクシュアリティといった、社会のさまざまなノーマライゼーションを達成すること——。
そもそも多様であるべき人間が特定の社会に適合させられるのでなく、その多様性に合わせて社会をつくるのがあたり前になるとき、きっと私の「老後」も、もっと過ごしやすいものになるのではないかと思っています。
みなさんのLGBTに対するお考えや、こんな社会になってほしい! というご意見をコメントで聞かせてください。
- 団体情報
- NPO法人パープル・ハンズ
東京都中野区東中野1-57-2 柴沼ビル41号室
電話:03-6279-3094
メール: info@purple-hands.net
ホームページ: http://purple-hands.net/
お問い合わせ: http://purple-hands.net/contact/
この記事に協力してくれた人special thanks
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永易至文
1966年、愛媛県出身。教育書出版社勤務を経て、2001年からフリーランス編集者・ライター。性的マイノリティの暮らしや老後、HIVなどをテーマとして活動。2013年、NPO法人パープル・ハンズ設立、同事務局長。個人でも行政書士事務所を運営 https://nijiirolifeplanning.jimdofree.com
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