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【山田椿実さん・71歳】「とりあえず、とりあえず」で日々を愉しむ

歳をとるごとに、楽しみが増えていく

連載 60年、酸いも甘いも讃えたい 2021.4.03

取材・文:出口夢々

60年生きた女性にはいろいろな人生がある。そして、女性一人ひとりはそれぞれ自分の人生を背負い、生きている。若くして家庭を持った人、働きながら子どもを育てた人、社会で戦い抜いた人——。そんな女性たちが経験した、人生の「酸い」や「甘い」を紹介する連載企画「60年、酸いも甘いも讃えたい」。
第6回目は、東京都港区にお住いの山田椿実さん(71歳)にインタビュー。息子の転地療養のための湘南での暮らしや、コーラスや読書などの趣味との付き合い方について話を伺った。

 

港区シルバー人材センターで会員登録して働きながら、趣味のコーラスや読書、映画を愉しむ日々を送っている、山田椿実さん。「細々とではありますが、この歳まで仕事をさせていただいているのはうれしいこと」と語る山田さんは、高校卒業以降、商社の庶務職や新聞社のスタッフなどとして働いてきた。出産を機に仕事を辞め専業主婦となるが、子育てがひと段落ついたころからは区民センターのスタッフとして働き出した。

「公民館にすごく助けられた経験があるんです。子どもの喘息がひどくて、治療のために湘南のほうに引っ越したのですが、縁もゆかりもない土地だったので知り合いがいなくて。近所にあった公民館がそのあたりで暮らす人の交流の場になっていたので、子どもの手をひいて、すがる思いで通っていました。そのような経験をしたので、東京に戻り、子どもが高校生になったときに区民センターで働き出したんです」

喘息を患っていた息子の太一さんが5歳を迎える直前、医師から転地療法を勧められ湘南へ移住。夫の太郎さんは仕事のため都内に残り、山田さんと太一さんが2人で引っ越した。

「息子が東京の保育園に通っていたころは、喘息が特にひどくて。毎日明け方に発作が起こってしまうので、抱っこして外に出ていい空気を吸わせてあげたり、ひどいときにはタクシーで病院に行ってすぐに治療をしてもらっていたりしました。このままだとこの子は喘息死してしまうかもしれないと考え、思い切って転地したんです」

湘南に移住したものの、太一さんの喘息は一向によくならなかった。幼稚園生のころには発作後に検査のため、こども医療センターへ入院。入院期間は2カ月半にもおよんだ。

「病院の規則で、面会に行けるのは週に3回だけなんです。小さい子がひとりきりで入院するというだけでもかわいそうなのに、そのうえ親と会えるのは週に3回だけだなんて……。電車が遅延して面会の時間に少し遅れると、子どもが面会室のドアの近くに立って私を待っているのが見えるんですよね。その姿を見たときは辛かったです」

子どもの看病に加え、慣れぬ土地での暮らしに疲弊していた山田さん。そんな当時、「誰かと話したい」「誰かと繋がりたい」という一心で足を運んでいたのが、公民館だったのだ。

「もともと、幼いころはすごく人見知りで、あまりしゃべらない子だったんです。でも、高校生のときに勉強についていけなくなって『私ってバカだったんだな』と気づいたときに、お茶目な性格になって(笑)。社会人になって飲み会を覚えてからは、人と会って話したり、飲みに行ったりするのがとても好きになったんです」

高校卒業後、商社へ就職した山田さん。そこでは事務員として勤めていたが、大きな会社は自分には合わないと中小企業の出版社へ転職。伸び盛りの会社で、営業の事務職として働いた。

「今のキャリアウーマンのようにバリバリ働いていたわけではありませんが、業績急進中の若いその会社ではとても働かされました。関わる仕事も人との接触が多く、同世代の子たちと『わかんなーい』などと言いながらキャッキャと働くのは楽しかったですね」

「その後、ある国の在外公館に勤務しましたが、湘南へ移住することが決まって、その仕事からは離れざるを得ませんでした。それも仕方のないことですね。でも、子どもの発作がいつ起こるかわからない、まわりに話せるお母さんたちもいないという状況は、つらかったです。今となっては子どもは “自分ひとりで育った” みたいな顔をしていますけど、治療も、それにかかるお金を工面するのも大変でした」

太一さんが退院し、喘息の発作が起こりづらくなったころには近所にも友人ができ、穏やかな日々を過ごした。趣味のコーラスを再開したのもこのころだ。山田さんが小学校高学年のときに始めたコーラスは、環境が変わり中断することはあっても、現在まで続けている。

「コーラスをやっているおかげで、演奏旅行として海外に何度か訪れることができました。とてもいい経験でしたね。楽しかったです! 現地の合唱団とジョイントコンサートを開催したり、ミニパーティーをとおして親交を深めたり——ホームビジットというシステムがあって、向こうの団員さんの家でごはんをいただいたりもするんです。海外に行って現地の人とともに歌を歌うのはもちろんですが、こうした文化交流も深く記憶に残っています」

スロバキアやイギリス、ポーランド、チェコ、スロベニア、クロアチア、フィンランド、エストニアなど、7回に渡り海外での演奏を楽しんだ山田さん。全7回の演奏旅行でとりわけ心に残っているのが、1回目の演奏旅行で訪れたポーランドでの出来事だ。

ポーランドは、日本でもファンの多い、作曲家・ショパンの故郷だ。首都・ワルシャワから車で1時間ほど西に行くとジェラゾヴァ・ヴォラという小さな村があり、そこにはショパンが生まれた家が今も残っている。

「ショパンハウスを訪れていた私たちのためだけに、ショパンコンクールの優勝者であり、同行ピアニストの留学時代の師であるポーランドの方がピアノの演奏をしてくださったんです。もう、本当に素晴らしくて、感動のあまりポロポロポロポロ涙を流してしまって。一緒に行った人たちもみんな目に涙を浮かべていて、『音楽のすごさ』を体感しました」

「スロベニアで知り合った日本人ガイドの方とは今も交流が続いていて。彼女がたまにお子さんを連れて日本に帰国したときには一緒にどこかへ出かけたりするんです。ほかにも、クリスマスカードやメールを通じてやりとりをする人もいますし、音楽を通じてそういうお付き合いが生まれたのはよかったですね」

ポーランド・スロベニアでの演奏旅行の様子

コーラスを通して新たな人間関係を築いてきた山田さん。昨今は新型コロナウイルスの影響でレッスンを中止しているが、生涯続けていきたいと語る。そんな山田さんがもうひとつ “生涯学習” として最近取り組んでいるのが、スペイン語だ。

結婚する前、ひとりでスペインを旅行した山田さん。スペインに興味がありスペイン語を学び始めると「これはもう現地に行かなくちゃダメだ」と思い、スペインへ飛び立ったのだ。

「スペインを好きになった特別な理由はないんですけど、南のほうの明るくて陽気な雰囲気がなんか好きで。スペイン語の発音しやすさも気に入った理由かもしれませんね。旅行しただけでなく、スペイン語を公用語とする国の領事館で働かせていただいていたこともあって。そのときにもっと勉強しておけばよかったという後悔の念を抱きながら、細々と語学講座に通っています

スペイン語学習に励む傍ら、山田さんが現在の暮らしで楽しみにしているのが、読書と映画だ。本は、話題の作品をテレビや新聞でチェックし、図書館で借りている。

「図書館で借りれば『返却日前に読まなきゃいけない!』と思い、読む動機が増えるので、本屋さんで買うのではなく、図書館で借りて読書を楽しむほうが自分に合っていると思うんです。最近読んだ本だと、恩田陸さんの『蜂蜜と遠雷』や横山秀夫さんの『ノースライト』という作品がおもしろかったですね。ほかにも、友人から勧めてもらった本も読んだりします」

そう語る山田さんが座るソファの横のサイドテーブルには、積まれた本が数冊置いてあった。さだまさしの著作『風に立つライオン』も友人から勧められたものだ。

「このご時世なので映画は家で観る機会も増えましたが、やっぱり大画面で観たいですよね。仕事の合間とか用事と用事の合間に3時間くらい時間があったりすると、その付近で映画館を探して、おもしろそうな作品があったら観ています。直近では『新聞記者』や、『カメラを止めるな』と『万引き家族』の二本立てを観ました」

歳をとると、シニア割引が適用される場所が多いので、いろんなものをちょっと安く楽しめるのがいいですよね(笑)。これ、歳をとることの楽しみの1つですよ(笑)。シニア割引は。博物館や美術館など、普段足を運ばないところへ行く理由になるので、歳をとって楽しみが増えています」

「何の覚悟もなく、だらだらと生きている」とも語る山田さんだが、仕事やコーラス、スペイン語、読書、映画など——彼女の生活には「楽しみ」で溢れている。

最近、『あんなことしなきゃよかった』『あれを言っておけばよかった』と、人生の失敗を思い返すことが多いんです。でも、いつも時間が経ってからそう思えるから、すぐには自分の戒めにならないんです。『あ〜あ、ばかりの人生だなと思い、またすべて自分で決めてきたことだから』とも思います」

過去に思いを巡らせながら、山田さんは言葉を続ける——。

「夫はもう仕事を辞めて家にいることが多いのですが、全然性格が違うんですよね(笑)。変わった人がいいなと思って結婚したのですが、性格が違うから喧嘩になることも多くて。一緒に家にいると言いたくないことまで言っちゃったり、お互いみっともないところまで見えちゃったりするので、外に出るようにしています」

「なので、身体が元気なうちは仕事も趣味も続けていきたいですね。これまでどおり『とりあえず、とりあえず』で過ごしていくのだと思いますが、家族やそこにつながる人たちを大事にして生きていきたいです。なんだかんだ言っても、家族が一番大切なんです

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