人生を豊かに彩るWEBマガジン

思想家・内田 樹さん「コロナ? まあ、こうなっちゃった以上は、しかたがないわな」

「変化するのが『生きる』ということ」――ウィズコロナ時代の生き方

特集 ウィズコロナ時代を楽しく生きる 2020.9.28

取材・文:出口夢々
写真:松原卓也

新型コロナウイルスで強いられる「新しい生活様式」。平均寿命が迫ってくるなかでこれまで積み重ねてきた暮らしを変えざるを得ないことについてどのように考えているのかを、思想家の内田樹さんに伺いました。

 

新型コロナウイルスはたくさんある死ぬ理由の1つ

――内田先生は今年で70歳を迎えられます。平均寿命へと刻一刻と近づいているなかで、新型コロナウイルスという新たな脅威が発生したことを、どう感じていらっしゃいますか?

内田:平均寿命が迫っているって……僕のことですか? そのような実感はあまりないんですけどね。子どものころからいろいろな病気をしてきたし、今もいくつも慢性疾患を抱えている病気がちの高齢者なので、「え? オレ、こんなときに、こんな理由で死ぬの?」とびっくりしながら死ぬのだと思っています。だから、新型コロナウイルスも「たくさんある死ぬ理由の1つ」なので、差し迫った脅威だとは感じていないんです

――では、幼いことから「死」という事象を受け入れていたのでしょうか? そこに恐怖心などは伴わないのですか?

内田:もちろん、子どものころは死ぬのが怖かったですよ。でも、死への恐怖心は年齢と反比例するみたいです。年齢が加わるとだんだん死ぬのが怖くなくなる。

子どもが生まれたときには「もう、これでいつ死んでもいい」という人間としてのミッションを果たした気持ちと、「この子を育て上げるまでは石にかじりついても生き延びるぞ」という気持ちが拮抗しました。さすがにこの年になると、生きているあいだにやるべきことはだいたい片づけたので、もう思い残すことはありません。

――では、新型コロナウイルスの感染拡大で、今までの人生で積み重ねてきた「普通」が「普通」ではなくなった状況を、どのように捉えられていますか?

内田:僕の場合はもともと「家から出ない(出たくない)人間」なので、感染症のせいで困ったことといえば、道場をお休みにせざるを得なくなって、合気道の稽古ができなくなったことだけです。あとは、外出自粛が要請されたのをさいわいに、家にこもって原稿を書いたり、映画を観たりして過ごしていました。おかげで身体の負担はずいぶん軽減しましたよ。

――「新しい生活様式」への順応が求められていますが、家の外に出るのがあまりお好きでないのであれば、この変化に適応するのは、そんなにつらいことではなかったのでしょうか?

内田:そうですね。つらかったことといえば、道場を閉めて、稽古を止めろといわれたことくらいです。でも、頭を切り替えて、普段できない一人稽古や修行をたっぷりしていました。あとは海にも行ったし、山にも行ったし、温泉も行ったし、いつもの楽しみごとは普段どおりやりました。

変わったのは、外の仕事が減ったことだけです。でも、そのおかげで拘束時間が減り、自由に使える時間が増えたので、僕個人としてはステイホームが推奨されて、むしろありがたかったです。

 

変化を受け入れないのは死んでいるのと同じ

――変化をうまく受け入れて日々の生活を送っていらっしゃるのですね。ただ、内田先生のように、じょうずに変化に順応するのはなかなかむずかしいことのように感じてしまします。

内田:「変化を受け入れられる/受け入れる」といういい方そのものに僕は違和感があります。それって、「変化しないこと」が標準だという前提があるから出てくる言葉でしょう? でも、生物は変化し、複雑化し、多様化するのが本性です。

変化は「受け入れる」か「受け入れられない」かを自己決定できる対象ではありません。変化するのが「生きる」ということです。ある状態にじっと静止して、何も変化しないという在り方を「死ぬ」と呼ぶのです

つまり、変化を受け入れないというのは、もはや死んでいるわけですよ。ですので「死にながら生きたいんですけど、どうしたらいいでしょう」といわれても困りますね。

――「生きるとは、変化すること」とのことですが、どのように変化し、生きることが、人間性の成熟へとつながるとお考えですか?

内田「与えられた環境でベストを尽くす」というのが、生き物の基本です。ですから、今回の新型コロナウイルスの発生・流行のように、何か思いがけないことが起きたら、「こんなはずではなかった。元の世界に戻せ」とじたばたしてもしかたがありません。与えられた環境で、自分のパフォーマンスが最高になるためにはどうすればいいか、それを一人ひとりが自分で考えるしかない。

――どのような環境においても「考える」行為を決しておざなりにしてはならないのですね。

内田:そうですね。「考えるのがめんどくさい」と思うのであれば、それは脳が活動したがっていないということですから、脳だけではなくて、心臓や肺や胃といった全臓器が活動するのを停止したがっているということではないですかね?

海外の大学での研修に学生たちを連れて行ったときのことです。研修期間中は学生寮に滞在したのですが、学生たちは、割り当てられた殺風景な寮の部屋をちょっと模様替えしたり、花を飾ったりして「自分にとって快適な空間」につくり変えてしまう子と、「あれがない、これがない、日本と違う」と文句ばかりいっている子の2パターンに分かれるんです。この2種類では、当然ながらそこで過ごす時間の密度も深みも違ってきます。

今の時代もそうです。いつ終わるかわからない感染症が終息するまでの全時間を恐怖心や怒りや恨みに支配されて生きるのは、たぶん病気に感染すること以上に身体に悪いです。「まあ、こうなっちゃった以上は、しかたがないわな」と涼しく環境の変化を受け入れて、その「日常」から引き出し得る「よきもの」をこつこつと探すというのが、「大人」の生き方なのではないかと思います

 

 

コメントを投稿する

コメントを投稿する

コメントをするには、会員登録/ログインが必要です。

この特集の記事一覧へ

この記事に協力してくれた人special thanks

内田 樹

思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授
1950年東京都生まれ。思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授。東京大学文学部仏文科卒業、東京都立大学大学院博士課程中退。凱風館館長、多田塾甲南合気会師範。著書に『ためらいの倫理学』(角川文庫)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書、第6回小林秀雄賞受賞)、『街場の天皇論』(東洋経済新報社)などがある。第3回伊丹十三賞受賞。
内田 樹