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お金を使って「もったいない」と思うのはどんなとき?

哲学対話で紐解く「お金」と「幸福」の関係

特集 100歳までのお金の使い方 2020.10.29

構成:出口夢々

「お金を使うことや貯めることについては、日ごろから考える機会が多いけど、そもそもお金ってなんだろう?」「お金があれば幸せなのか?」――そんな疑問を抱いた編集部。哲学研究者で立教大学で兼任講師も務める永井玲衣さんと一緒に、哲学対話をして考えてみました。

前回(「ケチケチしない」暮らしってなに?)では、どのようにお金を使って生きていきたいかを考えた結果、「もったいないって、なに?」という問いに直面。そこで、今回は「どんなときに『もったいない』と思うか」という問いを切り口に、お金と幸福の関係性について対話していきます。

※哲学対話とは、身近な問いから出発して、人々と互いの前提を明らかにしながら、よく聞きあい、考え探究する活動のこと。哲学者の思想を教えたり、勝ち負けを争って議論したりするのではなく、人々と話すことを通じて思考を深めていくものです。

人物紹介

永井玲衣
哲学研究と並行して、学校・企業・寺社・美術館・自治体などで哲学対話を幅広く行っている。詩と漫才と植物園が好き。最近考えている問いは「なぜ幸福は人それぞれなのか」。

花塚水結
ZIEL編集者。頭は自分が好きなものでいっぱい。それ以外のことはあまり気に留めない。

出口夢々
ZIEL編集者。些細なことをこねくり回して考えるのが好き。日常会話でも「なんで?」「どうしてそう思ったの?」を連発する。

 

 

出口:永井さんはどんなときに「もったいない」と思いますか?

◆問い
「もったいない」と思うのはどんなとき?

永井:うーーん。昨日、なんの記念でもなかったんですけど、「なんか食べたいな」と思って焼肉を食べちゃったんですよね。ちょっと豪勢にいっちゃって。その帰り道に「あーー、大きな仕事が終わったわけじゃないのに、もったいなかったな」って思ったんです。「ああ、夕飯にこんなにお金を使ったのもったいなかったな」って。これって何なのでしょうね?

「使うべきベストなタイミングがある」って思っているから「もったいない」と思うんですよね。でも、その「タイミング」って想定なんですよね。常に。「もっといいときがあったかもしれない」って、とてもぼんやりしていて、曖昧で、明確でない気がするんです。「ああ、もっといいときがあったのに」って思った瞬間に、その「もっといいとき」を明確にイメージできていない

◇気づき
「もっといいときがあったのに」と思っても、そのタイミングは想定でしかない(永井)

永井:そう考えると、お金を使うときに抱く「もったいない」という気持ちって、何に対してもったいないと思っているのだろう、と不思議な気がします。お金を使うときに明確な後悔がありますか?

◆問い
お金を使って後悔するのはどんなとき?

花塚:「もっと有意義な使い方ができたな」とか「こっちに使ったほうが得だったな」と思うときでしょうか。

◇気づき
有意義な使い方やお得を想定できたときに後悔する(花塚)

永井:わかります。でも「もっと有意義な使い方ができたな」と思うときに考える「もっと」って、非存在なんですよね。永遠にないというか……。「もったいない」というのは、幻想なのかもしれない……。

出口:私は、有意義な使い方ができなかったときや、選択ミスをしたときに思います。具体的な選択肢がAとBの2つあって、Aを選択したときに「あっ、AじゃなくてBを買ったほうが有意義だったな」と思うような、「もったいない」の感じ方が多いかもしれないです。なんだろう。想像上の「もったいない」というよりは、何かと何かを比較して、劣ったほうを買ってしまったときにもったいないと思う。

◇気づき
選択ミスをしたときに後悔する(出口)

出口:ところで永井さんは、昨日焼肉を食べて満足しなかったんですか?

永井:しました。おいしかったから満足したんですよね。

出口:満足したのに、もったいないと思うのはなんででしょう?

永井:そうですよね……。今言ってもらって気づいたんですけど、「有意義さ」と「幸福」が私のなかであんまり結びついていなかったなと思って。

◇気づき
お金を使って何かを得たときに、幸せだと感じても、有意義さは感じないことがある(永井)

永井:「もったいない」と思うときは、「こっちにお金を使ったほうがもっと幸福だったのに」と感じるのではくて、「こっちにお金を使ったほうがもっとお得だったのに」みたいな「損得感情」が生じているんですよね。

「損得感情」と「幸福感情」は分けないといけないですよね。出口さんにおっしゃっていただいたとおり、焼肉を食べてすっごく幸せだったんですよ。とてもおいしかったんです……。ほんとうに満たされているのに「ああ、こうしておけばよかった」とか「ああ、こうしておけば得したのに」と思ってしまう。

哲学の大きなテーマなんですよ。「幸福とは何か」って。紀元前から哲学者たちが考えているテーマで、「幸福とは善く生きるということ」という人もいれば、快としての幸福を挙げる人もいるし、「不快が除去されること」なんて消極的な人もいて。出口さんは損得感情と幸福感情は一緒ですか?

左:永井玲衣さん、右:編集部・出口

◆問い
自分のなかで、損得感情と幸福感情は一緒?

出口:うーーん。自分のなかで損得感情を抱いたことがあまりないかもしれないです。私はこの企画を通じて「読者の方が正しいお金の使い方を発見できればな」という思いも持っているんですけど、ここでいう「正しさ」って、「自分のなかで確立されているお金の哲学に沿うお金の使い方か否か」なんです。

だから、世の中でいう損得――「こうしておけば節税になる」とか「これはまとめて支払ったほうがお得」のような得するお金の使い方とは関係なく、自分の哲学に従ってお金を使うことが「正しい」と思ったんですね。そして、その先に「幸福」があると。

でも、考えてみれば損得感情ってお金を使うときに身近な感情なのに、私の視野にまったく入っていなかったなと気づきました。

永井:今おっしゃっていただいたことはよくわかって、「自分のなかで矛盾を感じずに正しいと思ってお金を使える」というのは、つまり「納得してお金を使える」ということだと思うんです。「納得感」と「幸福感」はすごく近しい関係にあると思っていて。

でも、「お金」と「幸福」はあまりにも結びついているし、「お金」と「損得感情」もすごく近しい関係にあるから、そこを混同しがちですよね。だから、そこを整理していくと、ひとつ「お金との向き合い方」になるのかなと思いました。

◇気づき
「お金」と「幸福」と「損得感情」を整理すると、お金と向き合える(永井)

出口:この座談会は「ケチケチして生きたくないのはなぜか」という問いから始まったわけですけど、「ケチケチして生きる」というのは、常にお金というモノの存在を気にしている状態だと思うんですね。では、「お金について気にならなくなったとき」ってどんな状態なのでしょう? 私は資本主義でなくなったときかな、と思ってしまいます。

◆問い
「お金について気にならなくなったとき」ってどんな状態?

永井:たしかに。お金が気にならなくなったときって、資本主義ではなくなったときかもしれないですね(笑)。社会の流れみたいなものが私たちを追いつめるので。では、資本主義でなくなったときって、どのようなときでしょうか?

◆問い
資本主義でなくなった社会は、どんな状態?

出口:最低限のライフラインと勉強する機会が保証されているときですかね。
資本主義って、お金があれば何でもできる側面も持ち合わせているじゃないですか? お金があればいい環境の場所で暮らせるし、充実した教育を受けることができる。もちろん、社会人になったら自分で稼いだり、投資したりしてお金を得られますけど、子どものころは親の財力ですべてが決まってしまうので、自分1人ではどうしようもない部分もありますよね。

だから、そうしたものから解放されたら、お金が気にならなくなると思うんです。今までお金の力で得られていた幸福をお金の力関係なしに得られるようになったら、心の安定も、生活の安定も得られるのではないでしょうか?

永井:たしかになあ。花塚さんは「お金について気にならなくなったとき」って、どのような状態だと思いますか?

花塚:これまで私、すごく莫大な額を貯金できれば、お金について気にならなくなると思っていたんです。でも、先日テレビで、10億円近く貯金があるけどケチケチした生活をしている、という人を見たんですね。

私は10億円あったらそれだけで安心できるし、このまま働いて日々の生活費を稼げば貯金を切り崩す必要もないから、絶対に安定だろうと思える額なんです。でも、世の中には10億円の貯金では安心できない人もいる。じゃあ、私も10億円あっても安心できないかもしれない、と思いました。

編集部・花塚

永井:いい反例ですね。莫大な額の貯金があるからといって、お金について気にならないわけではないんですもんね。そうしたら、いつお金について気にならなくなるのでしょうね……。

出口:花塚がいっていたように、貯金があっても働き続けることで、お金が気にならなくなるのかな、と思いました。自分が稼ぐことで、お金に対して自由な決定権や選択権を得られると思うんですよね。

大学生だったころ奨学金をもらっていたんですけど、そのとき、すごく不自由な感じがしたんです。すごく暴力的な表現をすると、奨学金を与えてくれている機関から支配されているような気がして。お金を支給する人と受け取る人の関係において、支配=服従関係が成立していると感じてしまったんですよね。だから、服従している側としては、そこに「自由」がなくて。もちろん、お金を与えられていても「自由」なんですけどね。

永井:たしかに。「お金を与えられていても自由なのに、自分で掴み取ったほうがより自由を感じるのはなぜか」という問いですね。

◆問い
お金を与えられていても自由なのに、自分で掴み取ったほうがより自由を感じるのはなぜ?

出口:所有権の問題ですかね? お金を稼ぐことで「このお金は自分のものだ!」と思える。

永井:「これは私のお金なんだ」と思えると、充実感につながって、さらにそこから幸福にもつながりそうですよね。

私たちって「お金に縛られているな」と思うことが多いですよね。紙切れなのに、私たちより偉いじゃないですか。だから、お金について気になっているときって不自由なんだと思うんです

だからこそ、お金に対して主導権を得る、つまり、自分にとって正しいお金の使い方が確立できればいいかなとも思います。でも、お金との距離感をちゃんと確立して、私が主導権を握って……って、なかなかできないですよね(笑)

花塚:むずかしいです。

永井私は「できないよね」という状態も大事だと思うんです
お金との距離感を確立するのも大事ですけど、そこにある程度の余地も残しておいたほうがいいなって。人は弱いからお金であたふたして、10億円もっているのにケチケチした思考になってしまう。そうしたお金に対する「脆弱さ」をもっていると思うんですけど、それを見えないふりをしているのがまずいと思います。

永井玲衣さん

永井:「私はお金をちゃんとコントロールできている」とか「私はお金があるから大丈夫!」、「私はお金をうまく使えているし、うまく使わないといけないんだ!」と思って、自分を追い詰めるのはあまり健全ではないと思うんですよ。

それよりも「お金について不安を抱いちゃうよね~」と思う自分や、そのつらさを眼差すのが重要なのではないかと、みなさんと話して思いました。お金に対して不安を抱く自分や、お金との距離をはかろうとしている自分に気づくことが大切なのではないでしょうか?

 

座談会を終えて――

永井:座談会をとおして、「もったいない」と「自分の距離感」を生まれてはじめて見直しました。これはお金と向き合ううえでの第1歩だと思います。お金の使い方を確立しようと思うと、しっかり考えなきゃと思って義務のようになってしまう。でも、まずは、自分がお金に対してどういう感情を持っているのか、どんな欲求を持っているのかという根本を自分で触ってみるのが大事だと思うんです。
その次に、「私はお金を問うとき、何を問おうとしているんだろう」と考える。人が問おうとしていることって、本来自分が問おうとしていることとバラバラだったりするんです。今回の哲学対話では、たくさんの問いが出てきましたが、互いに聞きあって深めていくからこそ、その問いが別のかたちで姿をあらわします。哲学対話はそれが明らかになりやすいので、楽しいですよ。

花塚自分はあまりお金に対してあまり興味がないと思っていました。でも、この座談会で「明日死ぬなら、今日入った給料を全部使ってしまいたい」と思っている自分を発見して、びっくりしました。とはいいつつも、今日も大切にお金を使っているわけですが……(笑)。
「お金は大切」。そんな、「あたり前」だと思っているところに立ち止まり、考えてみることは、自分を見つめ直していくことにもなるのかなと思いました。

出口:「ケチケチしなで生きるってどういうこと?」という問いから始まったのに、気づいたら「自分で稼いで得たお金のほうが自由に使える」という気づきを得ていました。普段ぼんやり考えていることを言葉にして第三者に伝えて、話し合ってみる――そうすることで、自分のなかに眠っていた考えや疑問が次々に湧き上がってきました。この感覚はおもしろかったです。
お金について1人で考えると不安になりがちですが、こうして考えや問いを共有しながらみんなで考えると、新たな発見があります。ですので、「お金について不安だな」と思っている方は、まわりの方と哲学対話をしてみると次のステップに進めるかもしれません。

 

この記事で生まれた問いについて、どう思いましたか?
コメント欄であなたの考えを教えてください!
永井さんとの哲学対話に参加してみたい人も募集しています。

〈問い〉
・「もったいない」と思うのはどんなとき?
・お金を使って後悔するのはどんなとき?
・自分のなかで、損得感情と幸福感情は一緒?
・「お金について気にならなくなったとき」ってどんな状態?
・資本主義でなくなった社会は、どんな状態?
・お金を与えられていても自由なのに、自分で掴み取ったほうがより自由を感じるのはなぜ?

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永井玲衣

立教大学兼任講師。専門は哲学・倫理学。哲学研究と並行して、学校・企業・寺社・美術館・自治体などで哲学対話を幅広く行っている。哲学実践書の執筆、哲学エッセイの連載なども行う。連載に、『晶文社スクラップブック』「水中の哲学者たち」、『HAIR CATALOG.JP』「手のひらサイズの哲学」、雑誌『ニューQ』(セオ商事)などがある。詩と漫才と植物園が好き。
永井玲衣

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