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「ケチケチしない」暮らしって、なに?

哲学対話で紐解く「お金」と「幸福」の関係

特集 100歳までのお金の使い方 2020.10.27

構成:出口夢々

「お金を使うことや貯めることについては、日ごろから考える機会が多いけど、そもそもお金ってなんだろう?」「お金があれば幸せなのか?」――そんな疑問を抱いた編集部。哲学研究者で立教大学で兼任講師も務める永井玲衣さんと一緒に、哲学対話をして考えてみました。

哲学対話とは、身近な問いから出発して、人々と互いの前提を明らかにしながら、よく聞き合い、考え探究する活動のこと。哲学者の思想を教えたり、勝ち負けを争って議論したりするのではなく、人々と話すことを通じて思考を深めていくものです。

小中学校や自治体で哲学対話を行っている永井さんにファシリテーターを務めてもらい、ZIEL編集部の花塚と出口が問いを重ねてきました。

人物紹介

永井玲衣
哲学研究と並行して、学校・企業・寺社・美術館・自治体などで哲学対話を幅広く行っている。詩と漫才と植物園が好き。最近考えている問いは「なぜ幸福は人それぞれなのか」。

花塚水結
ZIEL編集者。頭は自分が好きなものでいっぱい。それ以外のことはあまり気に留めない。

出口夢々
ZIEL編集者。些細なことをこねくり回して考えるのが好き。日常会話でも「なんで?」「どうしてそう思ったの?」を連発する。

 

 

花塚出口:今日はよろしくお願いします。
哲学対話をするのはじめてなんですけど、大丈夫でしょうか? 不安でいっぱいです。

永井:むずかしく考えないで大丈夫ですよ。問いを重ねながらいろいろ考えてみましょう。
まずお伺いしたいのは、特集テーマ設定の理由です。なぜ「100歳までのお金の使い方」というテーマを設定されたんですか?

出口:お金って、年齢関係なしに誰しも興味あるかなと思っていて。あと、シニア女性は年金と貯金を崩しながらの生活になると思うんですけど、限られた収入でも「ケチケチしたくないよね」という思いが、私と花塚のあいだにあったんです。

「幸せに生きるためにお金を使いたい」ので、「ケチケチする」のと「豊かな暮らし」が私たちのなかで結びつかなくて……。なので、ケチケチしないで生きられるようなお金の使い方を届けたいなと思って、このテーマを設定しました。

永井:出口さんはケチケチせずに生きたいと思うんですね?

◆問い
ケチケチせずに生きたい?

出口:思いますね。
欲しいものがあったら買いたいし、身なりにそこまで気を遣うほうではないけど「うわ、不潔だな」って他人に思われない程度に整えたい。それに、ご飯ももやし生活は嫌だってところから「ケチケチしたくない」と思います。

永井:「ケチケチしない」のレベルがすごい。もやし以上ならいいんですね(笑)。「ケチケチしない」って、「豪勢に、贅沢したい」のかと思いました。

出口:そこまで嗜好品にお金をかけたい、とは思わないかな。人間としての尊厳が保たれるレベルにある状態、かつ、自分が欲しいものは買える状態が、私の「ケチケチしない」ですね。

◇気づき
「ケチケチしたくない」=「贅沢したい」ではない(出口)

出口:自分の欲しいものが何なのか、という話なんですけど、やたらめったら買いたいわけではなくて……。「贅沢したいわけではない」というのがポイントかもしれないです。身の丈にあった生活をしたい。

永井:哲学対話でおもしろいのは、「ケチケチしたくない」「ケチケチしないにはどうすればいいんだろう」っていう問いが出て、みんなで考えてみるんですけど、そうすると「ケチケチしない」っていう定義がバラバラだってことがわかるんですよね

◇気づき
「ケチケチしない」という定義はバラバラ(永井)

永井:出口さんから「ケチケチしたくない」と聞いたとき、私は「贅沢に生きたいのか」と思ったんですけど、そうじゃなくて「身の丈にあった暮らしをしたい」とか「もやし以上がいい」とかで。
花塚さんはどうですか? ケチケチしたくないですか?

花塚:私はアイドルが好きで、数年前までは、グッズも買ったり、握手会やライブに行ったりしていて。とにかく、好きなアイドルが出すすべてのグッズにお金をかけたかったんですよね。無駄にたくさんCDを買っていたし、Tシャツも家に何枚もあるのに、新しいデザインのものが出たら買ってしまっていたんですよ。

でも、当時はそれがムダだと思っていなくて。「好きなものにお金をかけるのがあたり前」という思考だったんですね。今は当時に比べて、そこまでアイドルを好きではなくなっちゃったので、そんなにお金をかけていないんですけど、自分がハマったものにはどんどんお金をかけたいと思っています。だから贅沢したいんですかね。

◇気づき
「ケチケチしたくない」=「好きなものにはお金を出したい」(花塚)

永井:「好きなものにはお金を出したい」という思いと、「身の丈に合った暮らしをしたい」という思いは、出口さんのなかで両立しますか? 身の丈に合った暮らしはしたいけど、ハマったものにはガンガンお金を使いたいって思います?

◆問い
「好きなものにはお金を出したい」という思いと、「身の丈に合った暮らしをしたい」という思いは両立する

出口:むずかしいですね……。大学生のころは月に3万円分くらい本や雑誌を買っていたんです。それは当時の所得に対して「ガンガン」使っていたわけなんですけど、今は雑誌をあまり買わなくなってしまって。一方で、今は欲しいなと思う本の値段が上っているんです。1冊3000~4000円くらいのものを買うんですよね。

なんだろう。欲が変わってきているのかな? 3000~4000円もする分厚い本を月に何冊も買っても読み切れるわけではないから、「ガンガン」使えなくなっているのかもしれない。

左:永井玲衣さん、右:編集部・出口

永井:自分の欲が「消費」に向いていないんですね。

◇気づき
消費することに魅力を感じていない(出口)

永井:ちょっと話が変わりますけど、哲学対話を始める前に花塚さんは「いつ死ぬかわからないのに、どうやってお金を使えばいいんだろう」って話していましたよね。その問いをもっとかたちにするとどうなりますか?

◆問い
「いつ死ぬかわからないのに、どうやってお金を使えばいいんだろう」って、どういうこと?

花塚:「死ぬまでの生活に必要なお金が足りるか」っていう不安を抱くのが一般的かなって思うんですけど、もしかしたら、交通事故に遭って明日死んでしまう可能性もあるわけじゃないですか? 私が今、事故に遭ったら「今日入ったお給料、全部使っちゃえばよかったのに」と思うはずなんです。「後悔したくない」んですかね。

永井:それってすごく重要なことだと思うんですけど、「後悔したくない」って、何を後悔したくないんですか?

◆問い
貯めていたお金を使わずに死ぬのは、後悔する?

花塚:なんだろう……。今まで貯めてきたお金を残して死ぬのはもったいないなって感じちゃう。「社会人になって自分で稼ぐようになって、やっと自由に使えるお金ができた。でも、将来のことを考えてコツコツ貯めよう」と思って貯金してきたのに、事故に遭ったら、その将来がなくなってしまう。だったら、そのお金を今使っちゃいたいなって思います。

◇気づき
貯金を使わずに死ぬ、という後悔をしたくない(花塚)

永井:「将来のために貯める」って、すごく人間的な行為じゃないですか? 動物の世界はお金がないので貯めるも何もないんですけど、理性的というか、「将来を想定する」ということがすごい不思議でおもしろいなと思うんですよね

哲学って、あたり前だと思っていたことに立ち止まって「これってよく考えてみれば不思議じゃん」って気づくことだったりするんです。「将来のためにお金を貯める」って、どういうことなんですかね?

◆問い
「将来のためにお金を貯める」って、どういうこと?

出口:私は「将来のためにお金を貯める」って、「今を犠牲にしている」と思っちゃうんですよね。将来とか未来のために何かをするって、現実を犠牲にしているわけじゃないですか? それって「今を生きていない」ということになるのかなって思うんです

かといって、今を生きようとすると将来を失う可能性があって。「今を生きるって何だろう」って思ってしまいます。「今を犠牲にして、のちにハッピー」もいいと思うけど、「のちのハッピー」がこない可能性もある――こんな堂々巡りを、自分でお金を稼ぐようになってから何度もするようになりました。

永井:確かに、「将来のためにお金を貯める」というのは、現実を犠牲にすることだ。でも、「病気になったときのために貯金しよう」とか「老人ホームに入るときのために貯金しよう」みたいな、将来のために備える行動って、何を犠牲にしているんでしょうね?

◆問い
「将来のために備える行動」は、何を犠牲にしている?

出口:欲望……?「この服かわいいから欲しいけど、この金額分は貯金すべきだな」と思ったら、「洋服が欲しい」という欲望を犠牲にしていますよね。「映画を観たいけど、そのお金は貯金に回そう」と思ったら、映画を観たいという欲も、映画を観る楽しい時間も、映画を観た経験も失う。

永井:それをもう少し開いたかたちで問いにすると、「将来のお金を貯めることは、常に今の欲望を犠牲にすることなのか」という問いにできるかもしれません。哲学では、このように反例を考えるのも手法のひとつなんです。未来を見据えることは、常に我慢を伴うんですかね?

◆問い
未来を見据えることは、常に我慢を伴う行為なの?

出口:うーん……。我慢の度合いに違いが生じることもあるかもしれませんね。未来に確実なハッピーが待っているときは、「もしかしたら明日死ぬかもしれない」という疑念がうやむやになって、我慢度が低くなるかもしれないです。

永井:「明日死ぬかもしれない」がうやむやになったときって、すごくおもしろいですね。

出口:私、小さいころから「死」を考えることが多くて。6歳くらいのときに「死んじゃいたいな」と思っていたんですよ。

永井:どうしてですか!?

出口:「私、生きている必要性ある?」と思っていて。「自分の価値」というものを小さいころから気にしていたんですよね。だから、ずっと「死」を背負って――もちろん、みんなが背負っているものなんですけど、その「重さ」を感じていたほうかなと思うんですよね。

でも、今度結婚することになったんですけど、「結婚に向けてお金を貯めないといけない」となったときに、幼いころから背負っていた「生死という問題から派生する自分の価値をめぐる問い」みたいなものが、だんだん薄くなってきて。だから、「今」を我慢することへの抵抗が小さくなっている、というのはあります。

◇気づき
現実も将来も幸福があれば、我慢への抵抗感が小さくなる(出口)

永井:そうか。「今もハッピーだし、将来もハッピー」のときに、「死」がうやむやになって、「今」にも「未来」にも集中できるんですね。

花塚:たしかに、アイドルの握手会も未来のためにお金を使う行為ですよね。チケットは事前に販売されるCDについているから、未来の握手会のために事前にお金をつぎ込む。

左:永井玲衣さん、右:編集部・花塚

永井:そういうときって「わぁ、お金使っちゃった」とか「お金貯めなきゃ」みたいな憂鬱な気持ちというよりは、ちょっとワクワクしている感情ですよね。

出口:そうですね。「将来のために、今はこれをしないといけない」みたいな状況に、昔はすごく抵抗を感じていたんですよ。ただ、その抵抗は今ほんとうに感じなくなりつつある。「今もハッピー、未来もハッピー」って結構大事なのかもしれない

花塚:今、私はハッピーな状態にあると思うんですけど、それでもやっぱり、「医療費のため」とか「介護費のため」を考えたときの貯金というのは、憂鬱だなと思っちゃいます。なんででしょうね? それらのお金が必要な状態になるまでの期間が長いからでしょうか?「もったいない」って思っちゃいます。

永井:「もったいない」っておもしろいですよね。「今使わないともったいない」って、お金とかでよくいうじゃないですか。あれって何なんですかね? なにが起きているんでしょうか。たぶん、これを読まれている方も考えたことない人が多いと思うんですけど、「もったいない」とは何なのでしょうか

 

――「もったいないとは何か」について考えた記事はこちらをチェック!

 

この記事で生まれた問いについて、どう思いましたか?
コメント欄であなたの考えを教えてください!
永井さんとの哲学対話に参加してみたい人も募集しています。

〈問い〉
・ケチケチせずに生きたい?
・「好きなものにはお金を出したい」という思いと、「身の丈に合った暮らしをしたい」という思いは両立する
・「いつ死ぬかわからないのに、どうやってお金を使えばいいんだろう」って、どういうこと?
・貯めていたお金を使わずに死ぬのは、後悔する?
・「将来のためにお金を貯める」って、どういうこと?
・「将来のために備える行動」は、何を犠牲にしている?
・未来を見据えることは、常に我慢を伴う行為なの?

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永井玲衣

立教大学兼任講師。専門は哲学・倫理学。哲学研究と並行して、学校・企業・寺社・美術館・自治体などで哲学対話を幅広く行っている。哲学実践書の執筆、哲学エッセイの連載なども行う。連載に、『晶文社スクラップブック』「水中の哲学者たち」、『HAIR CATALOG.JP』「手のひらサイズの哲学」、雑誌『ニューQ』(セオ商事)などがある。詩と漫才と植物園が好き。
永井玲衣

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