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どのような老後の暮らしが「豊か」なのか

自分らしく生きる/死ぬために、考え続けるべきことはなにか(1)

特集 「みんな」と「わたし」――がんばらない人間関係の秘訣 2020.11.18

構成:出口夢々
プロフィール写真:きょーいち
本文写真:編集部

自分らしく生きて、人生をまっとうするには「自分とはどういう人間か」「自分がどうあり続けるか」などと、考え続ける必要があると考えた編集部。そこで、哲学対話をとおして「共に考える場」をつくる活動を行っている、東京大学の教授・梶谷真司先生と、ZIEL編集部・花塚、出口の3人で、「自分らしく生きる/死ぬために、考え続けるべきことは何か」を考えてきました。

「自分らしさとは何か」を梶谷先生と一緒に考えた記事はこちらから

人物紹介

梶谷真司
東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は哲学・医療史・比較文化。近年は哲学対話を通して、学校教育、地域コミュニティなどで、「共に考える場」をつくる活動を行っている。

花塚水結
自分らしさとは「これだけは譲れない、大切な何か」があることなのではないかと考えている。今の自分にとって譲れないことは、毎日のYouTube鑑賞。

出口夢々
ZIEL編集部。自分の自分らしさがよくわからず思案している。

老後の生活は「自己責任」ではいけない

 

梶谷:今日は「終活」の当事者である高齢者の方がいない状況で話をするわけですが、高齢者の方が「自分らしく」生きるためには、高齢者と関わりのある周りの人間――つまり僕たちもその問題についてよく考える必要があると思うんです
出口さんのおじいちゃんやおばあちゃんはどんな生活を送っているんですか?

出口:おじいちゃんは12、3年前に亡くなっているので、おばあちゃんは一人暮らしなんです。足腰が悪いから、買い物に行く以外は基本的に家にいる生活で。たぶん、朝起きたら、リビングに移動してソファーに座ってテレビを見て、おなかが空いたらご飯をつくって食べて、で、またテレビを見て……。そんな感じで1日を過ごしているみたいです。

家からあまり出ないから、自分の身なりとか着るものにもあんまり頓着がないようなんです。孫からしたら、もっと自分に関心を持って生活したり、興味のあることに挑戦してみてほしいんですけど、なかなかむずかしいんですよね。

梶谷:端から見たら「もうちょっとどうにかならないかな」って思うけど、一人暮らしだとそうなってしまいますよね。自分のためだけの食事って手を抜いてもいいじゃないですか。夫がいたり子どもがいたりしたら、めんどくさくてもある程度はちゃんとつくりますよね。誰かがいるから張り合いが出て、その人のために何かをする。

だから、出口さんのおばあちゃんも、自分1人ならなんでもいいと思っているのでしょうね。おいしいものをつくったって「おいしいね」と言い合う人がいないんだから。化粧をしたりきれいな洋服を着たって、褒めてくれる人がいなければ楽しくないですよね。

 

梶谷:出口さんは、おばあちゃんがどのような生活を過ごしていたら、うれしいと感じますか?  嬉々として自分のために料理をつくっているとか……?

出口:……それって不自然ですよね。

梶谷:1人で盛り上がっていたら不自然ですよね。
身体の自由が利いていたころは何かしていたんですか?

出口:以前は自治体のカラオケ大会とか集まりに行っていたみたいなんですけど、「○○さんが嫌いだから行かない」などと言って、行かなくなってしまいました。そもそも、人付き合いが嫌いな人なんです。

梶谷:そういう性格の方であれば、いくら孫が外に出てほしいと思ってもむずかしいですよね。今のおばあちゃんの生活は自分にとって居心地のいい生活であると言えなくもないわけですし。

出口さんが自分のおばあちゃんについて説明してくれてわかったように、人にはそれぞれこれまでの経緯があります。ですから、それまで社交的でなかった人が、老後になって突然、社交的で趣味が多い生活を過ごせる可能性のほうが低いと思うんです。

高齢者の家族が「豊かな老後」をイメージしたときに、いろいろな人と交わって楽しく過ごすような生活を想像したとしても、高齢者本人がここまでの人生でそういった過ごし方をしていなかったら、本人にとってそれは「豊かな生活」にはならないですよね。現実味がない。

よくも悪くも「老後の生活」というものは、その人の総決算なんだろうと思います。性格も含めて、どういう人生を生きたかというのが、老後を迎えると、より明確になってくる。わがままな人はよりわがままになり、もともと友達がいなかった人はますます人付き合いをしなくなる。元来持っていた性質が老後により強まっていくことは、よい・悪いという話ではなく、そういう人にしかなれないということなのではないでしょうか。

出口:たしかに。家族の考える豊かな生活が、本人にとっても豊かな生活だとは限らない。おばあちゃんにとっては、今の生活が豊かな生活なのかもしれないですね……。

梶谷先生(左)と編集部・出口(右)

 

豊かな老後のあり方を考える

 

梶谷:友達のドイツ人夫婦のおばさんにあたる人がいて、その人の死ぬ直前までの生活を知っているんですけど、豊かな生活をしていたように感じるんですよ。

「豊か」とはどういうことかと言うと、人との関わりを絶つことなく死を迎えられたんです。そのおばさんは独り身だったんですけど、年をとって動けなくなってきたときに、家で引き取るか施設に入れるかを家族みんなで考えたそうなんです。結果、施設に預けるという選択をしたのですが、それは介護が大変だからではなくて、施設にいたほうがおばさんの友達が自由に会いに行きやすいだろうからという理由でその選択をしたんです。

家に引き取ると、世話をしている人の迷惑になるかもしれないから友人も連絡しにくいし、おばさん自身も「会いに来て」とは言いづらいですよね。だから、施設にいたほうが自由に過ごせるし、何より人との関わりを絶つ可能性が低いと考えたんですよ。そして、その選択をしてすごくよかったと言っているんですよね。

花塚:家族と言えども、世話になっていると思うと行動を自制してしまう部分はありますもんね。

梶谷:その人の入った施設もよかったんです。身体がだんだん動かなくなったから施設に入ったわけですが、ドイツの施設っておもしろくて、ある程度身体が動く限りは1人で生活する部屋のある施設に入るんですよね。だから、基本1人で生活しているんです。

でも、施設内のにはきちんと人がいて、何かあったら駆けつけてくれて、世話してくれる。だから、マンションに常に管理人がいるようなイメージですよね。そして、自由に友人が訪ねられるし、自立して生活できる。

誰かに世話されるだけの存在になるんじゃなくて、自分と人の生活をきちんと守りながら、人と関わって生きていくというのは可能なのかなと思います。こうした老後のあり方は、当事者と家族、そして社会全体で考えていくべき問題なんですよ。

 

みなさんは老後にどのような暮らしを送れたら「豊か」だと思いますか? コメント欄で教えてください。

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梶谷真司

東京大学大学院総合文化研究科教授。1966年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。専門は哲学・医療史・比較文化。著書に『シュミッツ現象学の根本問題~身体と感情からの思索』(京都大学学術出版会・2002年)、『考えるとはどういうことか~0歳から100歳までの哲学入門』(幻冬舎・2018年)などがある。近年は哲学対話を通して、学校教育、地域コミュニティなどで、「共に考える場」をつくる活動を行っている。
梶谷真司