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【鈴木とみ子さん・78歳】カレンダーの裏に名前を書き続けた37年間の居酒屋経営

33歳――魚屋から居酒屋の女将へ転身

連載 60年、酸いも甘いも讃えたい 2020.11.07

取材・文:出口夢々

60年生きた女性にはいろいろな人生がある。そして、女性一人ひとりはそれぞれ自分の人生を背負い、生きている。若くして家庭を持った人、働きながら子どもを育てた人、社会で戦い抜いた人――。そんな女性たちが経験した、人生の「酸い」も「甘い」を紹介する連載企画「60年、酸いも甘いも讃えたい」が始まります。

記念すべき第1回目は、千葉県流山市にお住いの鈴木とみ子さん(78歳)にインタビュー。13年間勤めた魚屋を辞め、居酒屋をオープンした経緯や、波乱含みだった家族との関係まで、じっくりと話を伺った。

 

千葉県流山市にお住いの鈴木とみ子さん。鈴木さんは8年前まで自宅の1階で居酒屋・小鈴を営んでいた。

居酒屋を始めるきっかけになったのは、働いていた魚屋が廃業になったこと。20歳のころから13年ものあいだ団地のなかにある魚屋で働いていたが、地域一帯の開発が進み大型スーパーが続々とオープンしたことにより、小さな商店はお店を畳まざるを得ない状況になった。

魚屋で鮮魚を売るだけでなく、結婚式で出す仕出し弁当の料理をつくっていた鈴木さんは、魚屋が廃業になると決まったとき、その経験を活かして居酒屋を開くことを決意する。

仕出し弁当を提供するときに使っていた道具

「33のときから70のときまで居酒屋さんをやってきました。それはとっても楽しかったですよぉ。37年間ってものは。うん。夕方の16時から24時まで開いていたので、15時から仕込みをして、お通しをつくったりしてね。その当時は近くに居酒屋さんが全然なかったので、おかげさまで繁盛したんです。居酒屋さんをやっていたころは毎日が楽しかったぁ

埼玉県三郷市で生まれた鈴木さん。昭和39年に結婚を機に流山に来たのちに居酒屋を開いたものの、自分の言葉遣いを気にしていた。

「ほら、埼玉弁だから、言葉が悪いでしょう?  だけども、すごくいいお客さんだったの。16時になるとお客さんが入ってくるじゃないの。それで私の言葉遣いがうんと悪くてもね、ぜーんぜん気にしないいいお客さんだったの」

お客さんとのコミュニケーションを大事にしていた鈴木さんは、客が再訪してくれるように、とある工夫をしていた。

「はじめて来た方のお名前はわからないじゃないですか。でも、何人かで来るお客さんたちは、会話のなかで名前を呼びっこするじゃないですか。だからそこの会話で聞こえた名前をカレンダーの裏にチェックして。名前とあと印象もね。ほら、わかんないじゃないですか、名前だけじゃ。だから『禿げている人』とか『デブの人』とかって書くわけよ」

「それで、次にいらしたときに『このあいだ来てくれたな~』と思ったら、カレンダーをめくって名前を確認して、名前を呼んであげるわけ。『○○さんいらっしゃいませ~』って名前を呼んであげるとうれしいみたいなの。名前を呼ぶと、お客さんは『なんで覚えてるのー?』とおっしゃってましたけど、そのときには『わかるわよ~』なんて言って。二度目に来たときに名前を読んであげるとすごく喜ぶんですよ。だからそういうふうにして名前を覚えたりね」

小鈴には幅広い層の客が訪れた。なかでも、国立大学を卒業した人や大学で教鞭を執っている人など、勉学が優れた客が多かった。

「頭のいい人たちだから、わからないことを聞くといいことを教えてもらえるじゃないですか。だからそれを『うんうんうん』って聞くとね、なんでも教えてくれるの。ほんと、いいことですよ。だから、いい勉強になりました。外国人のお客さんが来てくれたときも、英語を話せる人が率先して通訳してくれて。それで外国人のお客さんとも会話ができて。そういうのも楽しかったわぁ」

みんな聞くことが大事なの。人の話をよく聞いておくと、お話もできるじゃないですか。お客さんのやっていること全部聞いて。で、いいことはメモをしたり。そうしておくと覚えられるからね。だから楽しかったわね」

小鈴のお客さんたちとカラオケ大会をしたときの写真。下段左から3段目が鈴木さん

小鈴を営んでいたときの楽しい思い出を次々に語ってくれる鈴木さん。もちろん、居酒屋ゆえの苦労もあった。

「小鈴もね、酔っぱらったりね、いろんな人がいたからね。ケンカはするわ、ねえ。ケンカしたお客さんがいたときは、白けるから、お金ももらわないで帰しちゃうの。『お金いらないから帰ってー!』って言ってさ。外に出しちゃえばほかのお客さんに迷惑かからないじゃないですか。仲間同士でケンカしたり、いろんなことがあるからね。だからもうとっとと外に出しちゃってね」

「そういうのもいろんな経験よね。お客さんは十人十色だから、いろんな人がいたから、いい勉強になりました。やっぱり30年、40年近くやったから、いろいろあったわよね。うん。でも楽しかったです。あとは、我慢。忍耐力がなかったらできない」

鈴木さんは居酒屋を経営する傍ら、何度かテレビ番組にも出演したそうだ。はじめて出たテレビは「夫婦善哉」(朝日放送)。旦那も自分も口が悪かったという鈴木夫妻のケンカ話は近所でもおもしろいと評判で、夫婦漫才コンビのミヤコ蝶々と南都雄二が司会を務めていたトーク番組への出演依頼があった。

「200人くらい出演候補者がいて、4組だけ出れるっていう話だったんだけど、その4組に入れたの。私、変わってるんでしょうね、きっとね(笑)。ああいうところは、変わってなかったら出られないんだから。うちは私も気性が強いし、いつもケンカしてたの。しょっちゅうケンカしていたから、その話をしましたね」

「あとね、私、好きなの。そういうところに行ったりするのが。赤坂まで出かけて行って、みのもんたが司会をしていた「午後は○○おもいッきりテレビ」(日本テレビ系列)に出たりしてさ。そこに行ってお話をしていたの。楽しかったです。そういうのがだーい好きなんです(笑)。要するに私、変わっているんだと思いますよ。自分でもそう思います」

夫婦生活のケンカも笑いに変えてきた鈴木さん。だが、「もうダメだ、死んでしまおう」と思ったことも何度もあった。旦那さんの酒癖が悪く、酔うと強く当たられることもあったのだ。旦那さんが寝るまで外にいたことも少なくはなかった。

「長男が赤ちゃんだったときもね――。夜泣きするじゃないですか? そうするともう半纏を着て子どもをおぶって外に行ってね。それが大変だった。『あぁ……』って思ったこともあった」

「ほんとのことを言うと、子どもを殺してね、自分も死んでしまおうかと思ったこともあるの。でも、子どもがまだ6カ月くらいのときは、ミルクがほしいとベッドのなかでニッコニコして待っているでしょう? その笑顔を見ると殺すなんてできない」

子どもがいたから自分たちの夫婦関係が保たれたと語る鈴木さん。だが、子どもを置いて実家に2、3日帰ったこともあった。

「実家に帰ったときの夜、寝ると夢に子どもが出てくるんですよ。それで『この子に悲しい思いをさせてはいけない』と思って家に帰りました。旦那と別れたら自分は幸せかもしれないですけど、子どもが泣いていたらどうにもならない。我慢、我慢。だからもう我慢するしかない。子どもがいなかったら、今の生活はないです」

旦那さんとはお見合いで出会い、それから2人で1、2回デートしてから結婚。お見合い結婚が主流だった当時は、それがあたり前だった。

「結婚生活は我慢の連続。忍耐力が大切。よくケンカもしましたけど、夫婦なので、どっちかが悪いなんてことはない。2人も悪いんですよ。だから嫌なことがあっても、グッとこらえて生活しています」

「あとは、いくら夫婦であっても、親子であっても、感謝の気持ちを持ち続けるのが大切。他人と同じように、何かをしてもらったときは『ありがとう』と言葉にして気持ちを伝えるようにしてます。人間何年もやってきて、感謝の気持ちはほんとうに大切にしていますよ」

酒癖の悪い旦那さんとの結婚生活を送り、自宅の1階では居酒屋を経営した鈴木さん。70歳でお店を畳んだのにはわけがあった。

「うちの子どもはね、それがほんとによくできているのよ~。この家も息子が建ててくれてね。ほんとうは1階のお店の部分は残して、それ以外をリフォームしてもらおうと思ったんですけど、息子が『せっかくならリフォームじゃなくて建て直したほうが生活しやすくなるから』って言って。せっかくそんなことしてくれるっていうんだから、思い切ってお店をやめちゃったんですよ」

お店を畳み、自由な時間ができた鈴木さん。ほとんど毎日お店を開いていて休みがなかったため、お店をやめた今は、息子さんが年に1回、旅行に連れて行ってくれる。

「年をとって移動が億劫になっているから『疲れるからいい』って言うんですけど、息子が『今しか行く機会はないんだよ』って言って、連れて行ってくれて。子どもがみんなこんなことをしてくれるわけじゃないでしょう? ご近所さんにいっても『いい人だね~』と言ってくれるの。感謝ですよ。いま一番幸せ」

また、お店をやめたあと、鈴木さんは老人会に入った。年に3~4回ボランティア活動をしたり、地域新聞を配る手伝いをしたりと、まわりの人たちとの交流を大事にしながら過ごしている。

「うちでカラオケ会をやったり、ご近所さんとおやつを食べながらおしゃべりをしたりもして、楽しく過ごしています。みんなでごはんを食べて、話して、っていう時間がほんとうに楽しいんですよね。お金がかかるのは嫌だから、みんなで食べるものを持ち寄ったり、ときには私がおにぎりとかおかずをつくったりして、集まっていますよ」

「人に言えない苦労ももっともっといっぱいあったけど、80歳を迎えようとしている今、普通の暮らしができているのは幸せよ。年金は少ないけどね。だけど幸せ。だから今が一番いいです」

「楽しかったのは小鈴をやっていたときね。それに対して苦労もいっぱいあったけど、今はそれを乗り越えて、子どもも孫も大きくなって。お嫁さんの悪口だってひとつもいうことないし、息子の悪口も言うことない。なんにも言うことない。我慢をしていることもないのよ」

そう語る鈴木さんは現在、長男家族と一緒に同居生活を送っている。

「ここまで一生懸命生きてきたので、悔いのない人生を送れました。あとは病気せずに、元気に暮らしていきたい。それだけです」

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