目出度さもちう位也おらが春——一茶はどんな情景を詠んだのか
新年を迎えた心境を詠んだ一茶の句
文・書:花塚水結
季節にあった季語を用いた俳句を紹介する連載「魂の俳句」。
第3回目は、「目出度さもちう位也おらが春」(小林一茶)。季語や意味、どんな情景が詠まれた句なのか、一緒に勉強していきましょう!
そして、その俳句を題材にして、大学で書道を学んでいた花塚がかな作品(日本のかな文字を用いて書かれる書道のこと)を書きますので、そちらもお楽しみに!
一茶が平常心で新年を迎えて詠んだ句
俳句:目出度さもちう位也おらが春(めでたさもちうくらいなりおらがはる)
作者:小林一茶(1763-1828)
出典:おらが春
季語:おらが春(初春)
意味:新年はめでたいが、僧侶のように何かをこしらえるわけでもなく、世俗のように長寿を望むわけでもなく、与えられた寿命をあるがままに受け取るのが俺流の正月の迎え方なのだ
この句は、1819年(文政2年)の1年間に創作された発句、随想、見聞などをまとめた日記体句文集の『おらが春』に掲載されています。収録作品は、自作を中心とした俳句や和歌など。一茶は生前に『おらが春』の出版を目指していましたが刊行にいたらず、一茶の没後、1852年(嘉永5年)に同郷の白井一之により出版されました。その序文をしめくくっているのが一茶の「目出度さもちう位也おらが春」という句です。
序文の現代語訳は下記になります。
〈昔、京都府与謝郡の普甲寺という所に、深く極楽往生を願う上人がおりました。年の始めは、世間は祝い事をして大騒ぎをするので、自分も祝おうとして、大晦日の夜、寺で使っている一人の小僧に手紙を書いて渡して、翌日の暁には、これこれしなさいよと、しっかり言いつけて、小僧を本堂に泊まらせた。小僧は元日の朝、まだ世間の隅々がうす暗いうちに、初烏の声と同じにガバッと起きて、昨日教えられたように、寺の表門をどんどんと叩くと、内側から上人の声で「どちらからですか」と問う時、「西方の阿弥陀仏から年始の使僧でございます。」と答えるやいなや、上人ははだしで躍り出て、門の扉を左右へさっと開けて、小僧を本堂の上座に招き入れ、昨日自らの書いた手紙をとって、うやうやしくおしいただき、読みあげることには、「そちらの人間世界は多くの苦労が充満しているので、はやく極楽のわが国へ来なさい。二十五菩薩が出迎えて待っております。」と読み終わりて、おおおおと泣かれたということである。
この上人は、自分で巧みしくんだ悲しみに、自ら歎きながら初春の法衣を絞って、したたる涙を見て新年を祝うとは、気違いじみた様子だが、僧は俗人に対してこの世の無常を説くことを役目ときいているので、浄土から迎えをうけるということは、仏門においては、正月の祝いの最上なのであろう。
それとは少しかわって、自分らは世俗に埋もれて世を生きる境遇であるが、鶴・亀にたとえてのめでた尽しも、歳末の厄介がしゃべる口上めいてそらぞらしく思うので、から風が吹けば飛んでしまうあばら家のごとき自分は、いかにもあばら家らしく、正月が来ても門松を立てたり、大掃除をしたりせず、平常のままで、雪の山路が曲がっているように、不十分ながら、今年の春も阿弥陀仏様にお任せして迎えたことである。
めでたいといっても、上人のような作為によるものではなく、一般世俗のように欲ばった長寿を望むものではなく、与えられた寿命をあるがままにうけとるというのが俺流の正月の迎え方なのだ。〉矢羽勝幸『日本の作家 小林一茶——人と文学』(勉誠出版)213〜215ページ
「めでたいといっても〜」以降の文が、本句の現代語訳になります。
物の本では、「ちう位」を信州の方言である「いいかげん」と解釈している記述を見かけることがありますが、それは間違いです。「位」という漢字が使われているように、中位が正しい解釈となります。上人の作為的な迎春を「上位」、相対する世俗の作為的な迎春を「下位」とし、一茶自身の無作為の立場を「中位」としているのです。
すると、「新年はめでたいが、僧侶のように何かをこしらえるわけでもなく、世俗のように長寿を望むわけでもなく、与えられた寿命をあるがままに受け取るのが俺流の正月の迎え方なのだ」という意味に解釈することができます。
また、『おらが春』は1歳で亡くなった長女・さとへの「愛と死」を中心的なテーマにしているため、本文集に集録されている本句を「長女が亡くなったから新年であろうとめでたくはない」というような意味に解釈されていることも多いですが、上記の本句の現代語訳からわかるように、それも間違いです。
今年のお正月は、大掃除もせずにただ家にいるだけで何もしなかったな……と少しやるせなさを感じていましたが、「一茶も大掃除していなかったのなら、そんな年があってもいいよね!」となんだか元気になれました。
年末に大掃除をされた方も、されなかった方も、この俳句を読んでの感想などをコメント欄で教えてください(そして、私のかな作品の感想も聞かせてもらえたら、うれしいです!)。
▼前回記事
いくたびも雪の深さを尋ねけり——子規はどんな情景を詠んだのか
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