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けふもいちにち風のなかを歩いてきた——山頭火はどんな情景を詠んだのか

山頭火が放浪の旅で詠んだ句

連載 魂の俳句 2021.4.20

文・書:花塚水結

季節にあった季語を用いた俳句を紹介する連載「魂の俳句」。

第6回目は、「けふもいちにち風のなかを歩いてきた」(種田山頭火)。季語や意味、どんな情景が詠まれた句なのか、一緒に勉強していきましょう!

そして、その俳句を題材にして、大学で書道を学んでいた花塚がかな作品(日本のかな文字を用いて書かれる書道のこと)を書きますので、そちらもお楽しみに!

 

放浪していた山頭火が詠んだ句

 

け(介)ふ(不)も一日風のなか(可)をあるいてき(支)た

俳句:けふもいちにち風のなかを歩いてきた(けふもいちにちかぜのなかをあるいてきた)
作者:種田山頭火(1882-1940)
出典:行乞記(二)
季語:なし
意味:今日も一日、風の中を歩いてきた

先に謝ります。

 

みなさん、すみません!!!

 

なぜここで私が謝ったのか、わからない方もいらっしゃると思うので、説明をさせていただきます。

この連載では、「季節にあった季語を用いた俳句を紹介する」をコンセプトに立ち上げたのですが……、今回は自由律俳句を選んでしまいました。

自由律俳句とは、俳句のルールである「五・七・五」や「季語」にとらわれない自由な形式の俳句のこと。つまり、「けふもいちにち風のなかを歩いてきた」には季語がないんです

というわけで、冒頭から謝罪させていただきました。

ただ、この一句で山頭火がどんな生き方をしていたのか、グッと深まると思うので、取り上げました。それでは、解説していきます!

 

山頭火にとって難敵であった “風”

この句を詠んだと言われるのは、1932(昭和7)年4月20日。山頭火が家族も世間も捨てて出家し、行乞僧(物乞いをしながら歩く修行僧のこと)として放浪の旅をしていた最中のことです。山頭火は旅の日記を書きながら、同時にいくつもの俳句を詠んでいました。

山頭火の日記『行乞記(二)』によると、89年前の今日は、下記のように記されていました。

「四月二十日 曇、風、行程四里、折尾町、匹田屋(三十、中)
風にはほんとうに困る、塵労を文字通りに感じる、立派な国道が出来てゐる、幅が広くて曲折が少なくて、自動車にはよいが、歩くものには単調で却つてよくない、別れ路の道標はありがたい、福岡県は岡山県のやうに、此点では正確で懇切だ。」

日記を読むと、風が強かった日だったのだろうと伺えます。また、「行程四里」とは歩いた距離でしょう。1里は約3.9kmですから、山頭火は約15.6km歩いたことになります
不動産屋さんの基準によると、徒歩でかかる時間は1kmあたり12分30分ですから、山頭火は3時間半程度歩いたことになりますね。

旅ならもう少し歩いてもいいのでは……? と思ってしまったのが正直なところですが、「風にはほんとうに困る、塵労を文字通りに感じる」と日記に書くくらい風の強かった日ですから、仕方がないようにも思えます。

しかし、どんなに風が強くとも、疲れようとも、今日もまた一日歩き続ける——それが行乞僧・種田山頭火としての宿命だったのでしょう。

出所:ウィキペディア
種田山頭火は私立周陽学舎(現防府高等学校)に入学後、俳句をつくり始めたという

家庭も世間も捨てて各地を歩き続けた山頭火の俳句、いかがでしたでしょうか?

今回取り上げた「けふもいちにち風のなかを歩いてきた」のように、山頭火は「自由律俳句」を確立された人物としても有名です。強い信念を持ち、自由な生き方を選択した山頭火だからこそ、成し遂げられたことなのかもしれませんね。

この俳句がよいと思った方は、ぜひコメント欄で教えてください! また、取り上げてほしい俳句作品がある方もコメント欄で教えていただけるとありがたいです。

▼前回記事
三つ食へば葉三片や桜餅——虚子はどんな情景を詠んだのか

▼種田山頭火について知りたい方はこちらのサイトもチェック
山頭火ふるさと館
山口県公式サイト 「やまぐちの文学者たち」80人/種田山頭火

 

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