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衣更へて遠からねども橋ひとつ——汀女はどんな情景を詠んだのか

中村汀女が気持ちの新しさを詠んだ句

連載 魂の俳句 2021.6.15

文・書:花塚水結

季節にあった季語を用いた俳句を紹介する連載「魂の俳句」。

第7回目は、「衣更へて遠からねども橋ひとつ」(中村汀女)。季語や意味、どんな情景が詠まれた句なのか、一緒に勉強していきましょう!

そして、その俳句を題材にして、大学で書道を学んでいた花塚がかな作品(日本のかな文字を用いて書かれる書道のこと)を書きますので、そちらもお楽しみに!

 

衣更とともに軽くなった気持ちを詠んだ句

 

衣更へてとおからねともは(盤)しひとつ

俳句:衣更へて遠からねども橋ひとつ(ころもかえてとおからねどもはしひとつ)
作者:中村汀女(1900-1988)
出典:花影
季語:衣更(初夏)
意味:衣更えをした。あそこの橋を越えると街が変わるように、私の気持ちもがらりと変わった

 

季語は「衣更」で、季節は初夏。
俳句の意味は、「衣更えをした。橋を1つ越えると街が変わって私の気持ちもがらりと変わった」。

中村汀女は昭和を代表する俳人で、高浜虚子に師事していました。同じく高浜虚子に師事していた杉田久女に憧れを抱いていましたが、久女の力強い句風とは異なり、生活に密着した素直で叙情的な作品を多く残しています

 

中村汀女
出所:ウィキペディア

 

この句について、汀女は次のように語っています。

中村 衣更えをすると気持ちも軽いですよね。何かちょっとそこらあたりまで歩きたい。用がなくても歩きたいような気さえいたしますよ。そしていわゆる「遠からねども」のところに、橋ひとつ越えれば、またそこにはそれこそ新しくあらたまるものあり、ほんとに気持ちが軽やかになる、こちらの町もあるんじゃないかしら。橋ひとつでだいぶ気持ちが違うでしょう。
——ええ、川の向こうとこちらですからね。
中村 そうそう、そうなの。その気持ちの新しさ、そういうものを言いたかったんだけど、「遠からねども」——遠くもない、そんなにそばでもない、ある距離の、橋にさしかかるまでの気持ち、それから橋を真ん中ごろまで行くまで、気持ちに衣更えしたあらたまるものありと言いたいんだけれど、どうもうまくいきませんね。

中村汀女『中村汀女 俳句入門』(たちばな出版)87〜88ページ

 

衣更をすると気持ちが軽くなることも、橋を渡って川の向こう側に行ったとき、新鮮な気持ちになることも、日常のとても小さな心情ですよね。その2つを拾い上げて、作品に昇華できる汀女の情緒の豊かさといったら……

きっと、日常を、1分1秒を、大切に過ごす人なのだろう、などと勝手に想像してしまいます。子ども3人の子育てに追われながら句作に励んでいた時期もあるがゆえに、生活に密着した句が多くなったのでしょう。

子育てをしながらも、常に「日々思うこと」を心に留めていたのかもしれませんね。

私も日常を、1分1秒をもっと大切にすれば、情緒豊かになれるのかしら……と、ヒートテックがはみ出ている洋服ダンスの引き出しを眺めながら思うのでした。

この俳句がよいと思った方は、ぜひコメント欄で教えてください! また、取り上げてほしい俳句作品がある方もコメント欄で教えていただけるとありがたいです。

 

▼前回記事
けふもいちにち風のなかを歩いてきた——山頭火はどんな情景を詠んだのか

 

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