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小説家・白石一文さん「人殺し以外は人間何をしてもいい」(前編)

直木賞作家が語る「自分をあたらしくする」ことと「死」の関係性

特集 自分をあたらしくする 2020.8.10

取材・文:出口夢々
写真:浅野 剛

7・8月の特集テーマでもある「自分をあたらしくする」という考え方に編集部が出合ったのは、直木賞作家である白石一文さんの『不自由な心』(角川書店)という作品を読んだとき。

兄が最初の入院を終えてわずかの期間家に戻った折に何着も背広を仕立てたのだ、と通夜の席で初めて兄嫁から聞いて、三枝はその気持ちがよく理解できなかった。
…(中略)…
だが、いま兄と同じ立場に立ってみて、三枝はそういう自分たちの解釈が当時の兄の気持ちからいかに遠かったか、やっと分かったような気がした。
兄は死を目前にして、もう一度自分を新しくしたかったのだろう。自分のことをかまってやりたくなったのだろう。ただ、現在の三枝のように独り勝手に残り時間を費やせる余裕のなかった彼は、限られた範囲でそれをするしかなかった。せいぜい二、三着背広を新調するくらいが精一杯の贅沢だったのだ。
自分を新しくする、というこの感懐は三枝にとって意外などほど手応えのあるものだった。

白石一文『不自由な心』「水の年輪」より

胃がんと診断され、余命半年と宣告された主人公の三枝は、仕事を辞め、妻と娘を捨て、「自分を新しくすべく」自分の生きたいように生きます。家を出てホテル暮らしをし、欲しいものがあったらとやかく考えず購入し、過去の不倫相手に会いに行く――。自分本位に最期を過ごし、三枝は自殺しました。

積み重ねてきた過去と残された今。そして、やがて訪れる死。
そうした日々で、自分が生きたいように生きるために――「自分をあたらしくする」。

 

生と死は表裏一体――死を意識しながら生きる

 

出口:白石さんは2001年に発表された小説『不自由な心』に収録されている「水の年輪」という物語のなかで「自分を新しくする」主人公・三枝の姿を描かれています。この自分を総入れ替えするような「自分を新しくする」行為に、とても驚いたのですが、この三枝の人物像には、どのようにたどり着いたのでしょうか。

白石:たどり着くも何も、小説というのは思いつくままに書いているわけだから、責任をもって何かをいうことはできないんですけど……。僕からいえるのは、死を意識しながら最期を自分本位に生きた三枝のように、死んでいくことを意識しながら生きるという行為を日頃から行っている人はきわめて少ないと思うんですよね。

「生きたい」と思って生きている人が多いわけで。「死のう」と思って生きている人はいませんよね。だけど、人間は最終的には必ず死ぬわけです。

だから「よりよく生きるためにはどうすればいいんだろう」とか「これからどうやって生きていこうか」とか、生きることばかりに目を向けていると、生きられなくなるとき――つまり、死を身近に感じたときに、非常に苦しい思いをせざるを得ないんですよね。

出口:たしかに私自身、人生の先のことを考えるときに「どんな自分になるべきか」「これからのキャリアはどうしよう」など考えるばかりで、死を意識したことはないかもしれません。

白石:そのような考え方は、人生の“処理の仕方”が非常に偏っているんです。つまり、生きることだけを目的として掲げていても、必ずやってくる死という存在がある限り、「生きること」は目的にならないんです。死を考慮した途端、生きていることを前提として立てた目的が破綻してしまうんですよね。

だから、ある程度の年齢になったら、自分の人生にどうやって幕をおろすのかを考えなければならない。そういう意味では、「終活」は非常に理にかなった行為だと思います。

現代は人生の終わり方を考える行為自体が忌み嫌われている風潮にありますが、それは人類の歴史全体のなかでも稀な風潮です。

というのも、現代ほど衣食住が安定していた時代はなかったからです。過去には、お侍さんが闊歩していた時代や戦争が勃発していた時代、飢饉や感染症で亡くなる人が多かった時代がありました。そのような時代では周囲の人間の死を身近に見ていたでしょう。そのような状況にあると、一生懸命生きるのと同時に、自分もいずれ死ぬわけだから、「どうやって死んでいこうかな」というのを併せて考えていたと思うんですよね。

出口:そうですね。私がこれまで身近な人の死を経験したのは祖父と叔父の2回だけですが、昔の人々は寿命も短かったこともあって、大切な人の死を経験する頻度が今より格段に多かったはずだろうなと思います。そして、周囲の人たちの死を何度も経験していれば、自分自身の死も意識せざるをえない。

白石:ええ、否応なしに「生」を考えれば、同時に「死」にも目を向けていたはずです。
また、物事には表と裏があり、生きることばかりを考えると物事の表ばかりを見ていることになります。

ですが、きちんと裏(=死)があることを認識して考えないと、表(=生)すら成立しなくなってしまう。だから、生きながら、死のことを考えなければならないんです。

「終活」という言葉が流行したことによって、こうしたことにみんながだんだん気づいてきたのは、とてもよいことだと思いますね。

 

他人から指摘された自分は、根拠のある存在ではない

 

白石:「自分を新しくする」っていう考え方ですが、これはいつでもできるんですよ。「自分を新しくする」ことは。

みなさん、今まで自分が背負ってきたものがたくさんあって、それを踏まえて「自分はこういう人間だ」って認識しているわけですよね。そして、自分を認識するにあたり影響を受けているのは、他人からいわれた「あなたはこういう人ですよ」という言葉だと思うんです。その言葉を非常に強く吸収し、「自分というのはおそらくこういう人間だ」と思っているわけです。

出口:他人からいわれた言葉を「客観的なもの」のように感じ、自分で自分を評価するよりも正当なもののような気がして、鵜吞みにしてしまいがちかも……。

白石「自分を新しくする」というのは、一回そういった認識をリセットしましょう、ということなんです。もともと自分がもっていた自己というものは、大体は人から決められたことばかりで、それほど根拠のあるものではないのですから。いわば、いつ脱いでもいいコートのようなものなんですよね。

白石:他人からいわれた言葉を鵜呑みするのではなく、「自分とはどういう人間なのだろうか」「自分は自分のことをどう思っているのだろうか」という風に考え方を切り替えるのが大切なんです。

周りのことはとやかく考えないで、「自分が自分のことをどう見ているか」という問題を一度真剣に考えて、見つめなおしたほうがよいと思います。

そして、自分を新しくするときは「Aさんからいわれたことをやめて、Bさんがいうことをやってみる」のではなく、「AさんからもBさんからもいわれたことのないこと」をすればいいと思います。つまり、自分で考えろ、ということなんですけどね(笑)

 

「自分を新しくすること」は決して破滅ではない

 

白石:自分がどういう人間かって真剣に考えようとすると、周りから「ひとりよがりだ」と怒られると思います。

でも、考えてみてください。これまでの人生、社会的常識や社会通念に縛られて、幼いころから周りの要請とか義務に我々はずっと縛られて生きてきたんですよ。

みなさんは「自分は心からこれがやりたい」と思うことをやってきましたか? 義務教育を受けた後は高校、大学に通い、大学を出たらすぐ社会に出て働く人が多いように、「よい」と決められたレールに沿って生きていた人が大半でしょう。

では、そうしたレールは誰がつくり、それをよいとみなしたのでしょうか? おそらくは自分ではなくて、社会的常識を振りかざす人たちや、そっちのほうが有利だと思って選択してきた人たちです。つまり、自分が決定権をもっていない問題に自分が左右されているんですよ。そういったことは否定していいし、レールに乗らない人生を選択してもよいはずなんですよね。

出口:社会的によいとされているレールに乗らないというのは、非常にギャンブルなことではないですか? たとえば、恋愛ひとつとっても、破滅的な恋愛をするにはとても勇気がいる……。

白石:破滅的な恋愛っていうけどね、そもそも「破滅的」って、非常に重い病に罹ったときや、振り向いたらトラックが突っ込んできていたとか……。「死」の間際の瞬間に体験することだけが破滅的と言い表せるものですよ。「死」だけが破滅なんです。

とんでもないほど人を好きになったりするじゃないですか。そして、とんでもないことをして全部を失ったような気になりますよね。でもそれ、全然失っていませんから。失うというのは命ひとつの問題であって、後は何とでもなるんですよ。

僕は「人殺し以外は人間何をしてもいい」というのが人生のテーゼなんですよね。人を殺すというのは他者に死をもたらすということですから、自分の死以上にひどいことで、そもそも選択肢にすらならないことなんですけど、逆にいえば、それ以外に大変なことなどない。要するに、人殺しさえしなければ、後は何をしてもいいと僕は思っているんです。

出口:たしかに、社会的通念や常識にとらわれず、そのくらい自分本位に生きてもよいのかもしれない……。

白石:自分の死以外に破滅に値する行為が存在しないということを、みんな忘れている。息子が会社を辞めるとか、大学を突然退学させられたりとか、恋人にフラれたりとか「あぁもう破滅だ」って思うようなこと全部、破滅なんかじゃないんです。

その一方で、死ぬことは破滅なんですけど、破滅というのは避けられるなら避けたいものでしょ? 破滅なんて誰もしたくないし、そもそも破滅という言葉自体が非常にネガティブなものなんです。

そこで僕たちが考えなくてはならないのが、「死ぬことは本当に破滅なのか」ということです。

 

 

中編へ続く

 

新刊情報
『君がいないと小説は書けない』
勤めていた出版社の上司、同僚、小説家の父、担当編集者。これまで明かすことのなかった彼らとの日々を反芻すればするほど、私は自問する。私は、書くために彼らと過ごしていたのか。そして最愛の妻よ。とてつもなく圧倒的で、悲しいほど実感がない君のすべてを、私は引き受ける。神に魅入られた作家が辿り着いた究極の高み。 https://www.shinchosha.co.jp/book/305656/
  1. […] 白石さんがおっしゃったように「死ぬこと以外に破滅なんてない」のですし(詳しくはこちらの記事を読んでみてください)、これからは開き直って「普通じゃない人生を謳歌しよう」 […]

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白石一文

1958(昭和33)年福岡県生れ。早稲田大学政治経済学部卒業。文藝春秋勤務を経て、2000(平成12)年『一瞬の光』でデビュー。2009年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で山本周五郎賞を、翌2010年には『ほかならぬ人へ』で直木賞を受賞。ほかに『不自由な心』『僕のなかの壊れていない部分』『私という運命について』『火口のふたり』『神秘』『愛なんて嘘』『記憶の渚にて』『一億円のさようなら』『プラスチックの祈り』『君がいないと小説は書けない』など。
白石一文

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